【日本の歴史】真実の日露戦争!日本が日露戦争に踏み切った理由!渡部昇一

コサック騎兵の引き離し

それで、秋山さんは、戦う時は機関銃だけれども、騎兵には騎兵の使い方があるんだというので、挺進隊を作りましてね、永沼挺進隊とか。

ほんの、10数名から20名くらいの騎兵隊を作って、奥地に行くんですよ。

そして、とにかく、シベリア鉄道を爆破しろと、いうような指令ですね。

そうするとね、ロシア軍はシベリア鉄道に対しては物凄く敏感なわけです。

ここを絶たれると、ロシアとの関係が切れますからね。

鉄道さえなければ、満洲とロシアとはですね、海と小島と離れたようなもんですからね、もの凄く敏感になるんです。

それで、クロパトキンもね、その一番ロシア軍の誇りである、そしてナポレオンも裸にして追い返した、コサックをね、前面に出さずにですね、鉄道を守る方に使っちゃうんですよ。

日本の方は、20人かなんかで、慌てさせているわけです。

ですから、3月10日の奉天会戦ね、その時、ロシアのコサック騎兵は出てこないんですよ。

後ろに回って、鉄道を守ってたんじゃないですか。

出てきたらえらい事ですよ、しかし、コサックが出てこなかったから勝てたと言っていいくらい、まぁ日本は勝ったわけです。

歴史的大戦 奉天会戦

3月1日から3月10日にかけましては、敵味方、約60万の大軍が、10日に渡って休みなしに戦い続けたという、それまでの人類に無い大戦争でありました。

それに比べますとね、ナポレオン戦争だってチャチなもんですよ。

規模から言っても10分の1くらいの兵隊がですね、大体1日くらいで終わったのが一つの戦いです。

ところがこちらの方は、ナポレオンが使った10倍ぐらいの軍隊が、10日間休みなしにやったというんですよ。

そして、敵は総退却いたしました。

だから、3月10日はね、陸軍記念日と言って、我々はまぁ子供の頃は祝ったわけですが、今は誰も祝いません。

3月10日は東京大空襲の日でしたという、なんか鎮魂の日になっちゃってですね、喜びの日にはならなくなっちゃったんですね。

それは、一つにはですね、こういう事があるんですね。

陸上自衛隊のOBたちがね、いるわけですが、この人達は本当は団結が強いんですね。

そういう記念日は祝う計画をやってもいいんですけれども、戦後はですね、日本陸軍は悪者だった、という事に決めつけられちゃったもんですからね、自衛隊が出来る時も、陸上自衛隊だけは、戦前の陸軍とは関係ないという立場で出発しちゃったんですよ。

だから、戦前の陸軍の事は一切関係ないみたいになりました。

ところが、海上自衛隊はですね、変な話ですけど、今、中国がしきりに言っているA級戦犯にもですね、海軍からは一人も出ていません。

全部、陸軍だけですね。

これはまぁ、満洲関係の話だからなんですが、まぁ海軍は悪者じゃなかったという話ですから、海上自衛隊は、戦前の海軍と切れていないという立場なんですよ。

だから、あの、日本海海戦のお祝いは、方々でやられています。

すこし前の日曜日に私は九州でやりましたけどね。

その主催者はね、海上自衛隊のOBがプランナーでやってんですね。

そうしましたらね、福岡の国際会議場ホールでやるというんで、出席の応募をしたわけですね。

そうしたら、応募数がね客席の3倍。

それで、抽選で3分の1を選んでですね、そして、当日直前まで、立ち見でもいいから見させてくれ、とひっきりなしに電話が来たと言っていました。

そのくらい、日本海海戦はですね、祝うんですよ。

陸軍は残念ながら、これは全く訃報なんですけどね、切られております。

でも陸上の戦いがですね、世界戦史にない、大戦争であった事は確かなんですね。

戦争から騎兵が消える

ですから、どういう結果があったかといえば、それまで世界中の陸上での戦いの華の華でありました、騎兵というものが消えます。

秋山さんが機関銃を使ったからですね。

機関銃が出た以上は、騎兵はダメだってわかりますから。

第一次大戦では、騎兵の出る幕は無くなるんですね。

出る幕は無くなって、せいぜい伝令だとか、そういう事に使っただけです。

あと、戦車の時代に入るわけですね。

だから、わずか11年後には、もう騎兵が消えているんですよ、世界から。

旅順の要塞

これは海軍と関係のある話ですが、旅順の要塞ですね。

これは日清戦争の時はですね、旅順も南山も半日か1日かくらいで落としていますからね、簡単に落とせると思っていたら、これがね、ロシアは要塞作りが、非常にうまいんだそうですね。

それで、旅順を難攻不落の要塞にするわけです。

旅順にいる海軍はですね、日本の連合艦隊全体よりも多い戦艦がいるんですよ、旅順には。

ウラジオストックには小さい軍艦が2、3隻いるだけで大した事は無い。

これは、出てきて悪さをしましてですね、日本の操船2隻ぐらい、常陸丸(ひたちまる)と佐渡丸(さどまる)を沈めてね、数100人殺してますけども、それくらいなんですね。

旅順には大艦隊がいるんですよ。

この大艦隊とですね、バルチック艦隊が来るわけでしょ。

そうなったら、戦艦だけでも日本の3倍くらいになるんですよ。

これは、海上の戦争は数学みたいなもので、計算できますから、大砲の数とかね、絶体絶命、勝ち目はない。

だから、当時の東郷平八郎大将の苦労は大変だったと思うんですね。

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