原爆を落とした進駐軍が作った憲法を喜んで使う日本人!日本人に憲法改正が出来ない理由!武田邦彦

今の日本に憲法改正が出来ない理由

憲法改正をしようという意見が非常に強いわけですね。

やっぱり9条の問題があり、軍隊を持つべきかどうかということも考えなきゃいけないんですが、私はここで、私は憲法改正はしないほうがいいという考えなんですね。

それは、ここに書いてありますように、表題に書いてあるんですが、「したい」ということと「できる」ということは、どうも違うんじゃないかというふうに思っているからなんですね。

私が工学分野という、私は学問的には最初は理学、物理学とか物理化学とか化学といった分野だったんですが、仕事に就いてから後は、工学、理学の物理とかそういうのを利用して、生物を利用して、世の中の役に立つものを作るという、そういう工学の世界に入ったわけですね。

そうしてみると、こういうこともしたい、ああいうこともしたいというのがあるし、できるっちゃできるんですが、実はなかなかできないんですね。

したい事と出来る事は違う

したいということとできるということは違うって、これ当たり前なんですけど、例えばあそこの高校に入りたいと思っても、高校に入れるかどうかわからないし、スポーツ選手になろうと思っても、運動神経が十分じゃなくてなれないということもあるわけですから、

人間はしたいということができるわけじゃなくて、できることはできるし、できないことはできないという、冷酷な面があるんですね。

進駐軍が作った憲法を喜んで使う日本人

私が憲法改正反対なのは、憲法改正したいんですよ、私。

やっぱり、それはみんなが言っている通り、まず進駐軍が作った憲法をずっと使っているっていうのはみじめだし、9条にしてもいろんな点で70年も経てばほころびてきますから、

やっぱり現在に合わせて、未来を見た日本の図を作るということが非常に大切ですし、それが国民の総意によって憲法が決まるということが、非常に重要であると思うんですね。

現在の憲法も一応国会通ってますけど、なんたって占領下ですからね。

憲法を作った事が無い日本人

だからちょっと違うということを思うんですが、しかしその憲法改正したいということと憲法改正できるということは、違うと思うんですね。

まず第一に、日本人ってまだ憲法を作ったことがないんですよ。

最初の明治憲法というのは、江戸時代から明治時代に移った途端に作った憲法で、言ってみれば、極端に言えば2、3人の人が作った憲法ですね。

大日本帝国憲法と日本の敗戦

ですから、国民がみんなで考えて大日本帝国憲法というのを作ったわけじゃなくて、とにかく明治維新になった、お札も発行しなきゃならない、政府も作らなきゃならない、大臣も任命しなきゃならない、そういう近代化の中で大急ぎで作ったのが大日本帝国憲法ですね。

これが非常に帝国的だ、今のアメリカとか中国が帝国ですね。

気に入らなかったら敵を攻めるという、昔は全部帝国だったんですね。

大英帝国であり、ドイツも帝国であり、ロシア帝国であり、大日本帝国であったわけですが、いわゆる帝国主義の時代にできたわけですね。

原爆を落とした米国に押し付けられた日本国憲法

それで戦争に負けて、どうも大日本帝国憲法がダメだということで、日本国憲法というのを作ろうとしたんですね。

だけど日本国憲法は、現実的には原案くらいは日本人が作っていますが、方針はマッカーサーが決めて、こういう条文がいいかどうかもマッカーサーが決めているわけですね。

ですから、これはアメリカ人が作ったと言っても過言ではないんですね。

アメリカ人がやや難色を示したけれども日本人の主張で入ったというのは、例えば勤労の義務なんかがそうなんですけれども、わずかなわけですね。

第1章の天皇にしろ、第2章の戦争放棄にしろ、第3章の人権にしろ、第4章が国会でしたか、全てアメリカ人の判断で作ったわけです。

ということは、今度作る憲法が、初めて日本国民がだいたい総意で作る憲法ということになるんですね。

それじゃあ日本国民が全員で作る憲法というのは、どういう能力が、国民に能力がないからできないかと言うと、まず冷静に議論すること、まずはそれぞれの人がある程度ぼんやりした日本の将来像、日本はこうあるべきだという像を持っていること。

それはそうですね、憲法ですから。

それはお互いに違うので、それを話し合って、日本の将来の議論をもっと深めること。

話し合った後は、冷静に採決をしたり決定手段を経て決定すると、こういうプロセスが必要ですね。

このプロセスが、私は今の日本では踏めないと思ってるんですよ。

マスコミがバラバラにした日本の問題

まず第1に、多くの日本人が私が話してみると、国の防衛をどうするのか、子供たちの教育をどうするのか、社会構造というのはもっと発展していって豊かな生活をしたほうがいいのか、それともこのくらいでだいたい我慢するのか、環境なんか、僕に言わせれば全然汚れていないのに環境を大切にするのか。

そういう基本的な考え方が、マスコミの嘘やらなんやらにまみれて、非常に広く広がってるんですね。

家庭の問題もそうですね。

女性と男性の問題もそうですよ。

全てが、議論が少しずつ煮詰まっていってるんじゃなくて、どんどんどんどんバラバラになっちゃってるんですね。

それがまず1つ。

日本の将来像が描けていない日本人

だから日本の将来像という時に、人権問題どうするの家庭の問題どうするの、軍事どうするの、天皇どうするの、1つずつ全部決めていかなきゃならないけど、なかなかこれを決める基本になる、個人個人の考えが練れていないような気がするんですよね。

充分に議論していませんから。

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