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共産主義にかぶれたインテリの知能レベル
マルクスが、19世紀の終わりにいろいろ資本主義の欠陥を考えてですね、まあ共産主義っていうか、のちの共産主義になる思想の礎を築きですね。
まあその後、とくに資本主義の発達が遅れてた、またこれが面白いんですけども。
資本主義の発達が遅れてた、まあロシアなんかでですね共産主義革命が起こると。
そういうような、歴史的な経過を辿ったわけなんですけれども。
共産主義ってのは、どう見てもなかなか正しいんですよね。
私がまあ戦後その学校、大学までかなりですねほとんどのいわゆる頭のいい人というのはですね、あの共産主義にかぶれたわけですね。
現在その北朝鮮のことをですね、当時は理想の国とまあいうふうに日本のインテリ層って言いますかね、岩波文書店から発行された「世界」という雑誌があったわけですが。
この左翼雑誌を小脇に抱えていればですね、それだけでインテリであるとまあ言われたような時代があるわけですね。
インテリの手のひら返し
今は日本のほとんどの人が、北朝鮮憎しと、酷い国だと言っとりますけれども。
人って言うのはこれほど変われるものかと、場合場合に応じてその変われるもんかと思う程なんですよね。
ですから、まあこやうやって世の中見てますと、どう見ても共産主義がいいと。
共産主義の理想と現実
皆が働き、平等に富を分けうと、皆で喜んで働こうじゃないかと。
まあユートピアと言ったわけですけども。
まあそういった社会が現実にあるというふうに思ったわけです。
ところが実際に、共産主義の国家ってのが出来てみると、独裁はあるわ、殺し合いはするわということで。
じゃあ共産主義の何を間違ってたのかと言うとですね、まあ人間の心は汚いとか、それからズルしようとするとかですね。
それから、あんまりよく考えずに感情的に走るとか、そういう我々が人間であるっていうことを忘れた制度だった、システムだったんですね。
日本共産党の志位和夫は代表にどう決まったのか?
現在の日本共産党もややそういう感じで。
私この前ちょっと放送で言ったんですけれども、現在の委員長っていうか書記長っていうかですねトップは、どういう制度で決まってきたのかよく分からないんですよね。
委員長か、委員長がどういう制度で決まってるのか、選挙してるのかしてないのか、選挙で演説が合ってるのか。
やっぱり、いくら共産党の中でも路線の違う人達がいるでしょうから、そういう人達の間で議論があったのか、そういう人は粛清されるのか、分からないわけですね。
共産主義者スターリーン・毛沢東の大量虐殺
まあこれとほとんど同じこと、共産主義が勃興して実際国家になり、まあスターリンとか毛沢東とか現れて、何百万人何千万人という人が殺されるという。
そういうことになった共産主義っていうのが、ある程度多くの人の支持を得たというのとほとんど同じのが。
心優しい人が残虐な人に変わる瞬間
実は1990年から日本を吹き荒れた、環境運動だったわけですね。
まあこのことを言うとき私はやや胸が痛いのはですね、その時に環境運動に身を投じた人っていうのは、心優しい人だったんですよ。
これは共産主義でも同じなんですね、人間っていうのはあのいい、良かれと思ってやることってのは悪いことが多いんですよ。
なぜ良かれと思ったことをやる人が心優しい人なのか。
その心優しい人が、残虐な人に心が変わるのはいつなのかと、いう問題なんですね。
今ここで言ってるのは、今度の洪水のですね大きな原因の一つにリサイクル運動っていうのがあるんわけですね。
紙のリサイクル運動が進もうとした時に、これ私が自分偉かったとかそういうこと言うこと全然ないんですよ。
社会現象の解析なんですが、私はあんまりリサイクルなんかしちゃダメだと、紙のリサイクル、森林がダメになっちゃうと。
森林がダメになったら、あの頃の言い方では川が生きれば海生きるだったかな。
要するに、自然というのは川の木…山の木、それから川それから海、こういうのが渾然一体になってですね決して切り離せるものではない。
それで山の木というのはですね、これはもう我々があの日常的に野菜を食べたり、牛肉を食べたりするのと同じようにですね。
あの生命っていうのは、お互いに依存しながら生活してるわけですね。
ですから山の木は、自然林、広葉樹林の自然林を別にすれば基本的には手を入れなきゃいけないんですよ、伐採しなきゃいけないわけですね。
その伐採を止めるとですね、山の木を伐採するのは何事かっていうのがあったんですよ、それ心優しい人達が言ったんですね。
それは心優しいんじゃないんですよ、共産主義を最初に指示したユートピアを目指した人達。
皆で一緒に働こうじゃないか、美しい社会を作ろうじゃないか、といった人達は本当に心が、本当に心が美しかったんですよ優しかったんですよ。
私はそういう人の中の何人かを知ってますけどね。
優しい人が行きつく独裁と虐殺
だけどその結果は、独裁であり虐殺であり、まあ現在の北朝鮮でもあるんですね、北朝鮮悪いかどうかちょっと分からないんですが、皆さんが言う悪い状態なわけですね。
それとほとんど同じ心で、ゴミを捨てちゃいけない、節約をしなきゃいけない、リサイクルしちゃいけない、森林の紙を…あの山を、山の木を切っちゃいけない、
ティッシュをあんまり使いこんじゃいけない、というなことを言われたわけですね。
それはそのちょうど共産主義で、その単純にそこだけはいいんだけど、その共産主義をするのは人間だってことを忘れてたと同じように。
環境運動っていうのは、自然っていうのはどういうもんなんだと、自然は殺し合いもあり残虐であり、その中で調和を保ってるんだと。
まあ言うことは、考えなかったわけですね。
日本の災害を激増させた環境運動家の嘘
そこで山はきを切らなくなる、荒れに荒れる、だんだんだんだん根は細くなる、そういうふうになって流木になり、それが洪水の時には橋桁にかかり橋を壊し、
橋を乗り越え、そして付近住人に達し、今度みたいに170人からの方が命を落とすというふうな結果の一つになるわけですね。
またそういう時、獅子身中の虫みたいなのが出てきてですね、どっかの東大を退官した先生なんかが。
山の状態良くなった、山の状態良くなった、それでも洪水が起こるんだから温暖化だよ、なんて無茶苦茶なことを言われるもんですからね。
これは必ずそういう時って、そういう人もまた出てくるんですよ。
これがやっぱり、人間社会というものなんでしょうかね。
表面しか読み取れない残念な日本人
それからもう一つは、まぁ、普通の人はそういうこと知りませんからね、必ずそういう時にどっち側につくかっていうと。
良心的なことを言う、表面的に良心的なこという人の方につくんですよね。
で、したがって、どうしてもその山の木を切るな、割りばし運動と。
こういうふうになって、結局枝打ちも出来ない間引きも出来ない、針葉樹林を植えたけれどもどうにもなんない。
それで杉の花粉で苦しむ、そして洪水で多くの人の命が、命を落とす。
その人達、つまりその環境運動家という人たちがそれを反省するわけでもないんですよね。
自称インテリを妄信する事の恐ろしさ
だって、かつて日本のリベラル派、共産主義を支持した人がその後、共産主義の実態というのをソ連とか中国で目の当たりにして、結局そのことをまあ、いいんですけどね人間だからそんなに厳しくなくていいんですが。
反省もせずにそのまま密かに自分の意見を言い換えて、まあ社会にいろいろまた新しい間違いを言うということに、なんだか言ってる私も悲しくなってきたんですけども、なってるんですよね。
結局ですね、今度の洪水で命を落とした人の多くが善良な心で始まった、環境運動の犠牲になったっていうことですね。
このことは私たちは、本当は素直な心で受け止めてですね。
そして人間社会を一歩ずつ進歩させていく、共産主義が悪かった理由はなんだったのか。
環境運動が悪かったのが、なんだったのかっていうことをですね、よく考える必要があるんじゃないか。
今でもごみゼロ運動なんていうのをしてる人がいますけども、ごみゼロ運動というのは一体何をもたらすのかと。
それは、ごみがゼロの方がいいでしょうけど、ごみがゼロっていうのはもちろんいかないわけですね、人間死なない運動みたいなもんですから。
人間死なない運動ってのはそれいいですよ、人間病気にならない運動、これみんないいことなんですね。
だけどもやっぱりそこには自然の摂理に反する問題点があると、まあそういうふうに言えるんじゃないでしょうか。