三輪和雄 日韓議員連盟の活動を停止すべき理由!日韓議員連盟が作られた経緯!

反日韓国にすり寄る日韓議員連盟

韓国のまさに自滅としか言いようがない馬鹿馬鹿しい周章狼狽ぶり。

もう散々このコラムでも言いましたけども、今日はですねそれにも懲りずに韓国にすり寄ろうとしている日本の日韓議員連盟の話をしたいと思います。

まぁ、昨年ですね11月かな、城内実さん

画像出典:TKCグループ

この方は自民党では非常にまともな外交官出身の議員ですが、この方は、もう日韓議員連盟を脱退を致しました。

今まともな人はどんどん日韓議員連盟から距離を置こうとしているのですが、以前として日韓議員連盟というのは、まぁ機能しているわけです。

日韓議員連盟はどのように出来たのか?

今日はですね、その現状もさることながら、この日韓議員連盟というのはどうやって出来たのかという事からお話をしてみたいと思いますが。

まず昭和40年代くらいにですね、自民党中には、ちなみに日韓議員連盟が出来たのは昭和45年、1975年なんですが、その前、昭和30年代とか40年代に、自民党においての外交での取り組みというのはどういう状況かという事でお話しますと、

まず、A研とAA研というのがあったんですね。

A研というのは何かというとアジア研究会なんです。

AA研というのは何かというとアジアアフリカ研究会なんですね。

で、アジア研究会の方には、自民党の保守派、タカ派という人達が集っていたんですね。

ここのアジア研究会の骨子は、当然、台湾、中華民国を支援すると。

中国共産党の方ではなくてですね。

と同時に、韓国も支援すると。

あるいは、南ベトナムも支援すると。

つまり、もう反共の防波堤のような感じがアジア研究会だったんですね。

一方、アジアアフリカ研究会というのは、自民党の左派リベラルが結集して、そうしたグループだったわけでございます。

1972年に、日韓議員懇親会というのが出来まして、そしてそれが日韓議員連盟に昭和45年出来たわけです。

当時はですね、自民党の中のタカ派が集まっていたアジア研究会の人達が、この日韓議員連盟の主体だったわけですね。

それともう一つ、ある意味自民党よりも外交防衛ではまともだったと言われた、当時の民社党からも何名か入りまして、日韓議員連盟というのは、明らかな保守派・タカ派の牙城だったわけでございます。

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1 Responses to “三輪和雄 日韓議員連盟の活動を停止すべき理由!日韓議員連盟が作られた経緯!”

  1. 日本国民/有権者の立場から見れば、〖日韓議員連盟〗の連中なんて《反日/売国議員の集団》なんだ。一例を見ても解るが、日本国にとって【大変/危険】な『日韓トンネル』の建設を目指すなんて、明らかに国民の納めた【血税の無駄/使い】の見本で、過去に起きた歴史から学び取り、そぅして素人・目から見ても⋘百害あって、一利・無し⋙の代物だと理解が出来るのに・・。本当に・此の連中にゎ・心の中から⋘怒りの心が⋙沸々と・湧き上がるのみだ。

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