ヨーロッパに難民爆弾再び
ヨーロッパに難民爆弾再び、というお話をさせて頂きたいと思います。
2015年、ヨーロッパに中東、シリアなどの難民を中心とした勢力がキャラバンを作り、大量に流入した事件がありました。
その数、約120万人。
当初、ヨーロッパはそのような難民に対して、融和的な態度を取っておりましたが、あまりに大量に流入してくる難民に手を焼いたヨーロッパ。
結果的に、トルコに追い返すという事を行いました。
まず、その原因から見ていきましょう。
アラブの春、そしてシリア危機によって、中東アラブ地域で、大量の難民が生まれてしまいました。
この難民の人たちは、家を失い、行き場を失い、生活の基礎的な部分まで無くなってしまったわけです。
そのような人たちは、豊かなヨーロッパに向かって、隊列を組み、移動を始めたのでした。
ある意味、現代版の民族大移動が起きたわけです。
島国国家と大陸国家の大きな違い
日本の場合、島国という特性があるので、国家と国、というものがほぼ一致します。
海、というものに囲まれているために、国民・文化・宗教などが、ほぼ同一の国、という事になるわけです。
それに対して、大陸国家というものは、国境や国家という概念が曖昧です。
例えばかつて、オスマントルコという国がありました。
それは、ギリシャまでその領土としており、大陸全体を支配していた。
また、突厥(とっけつ)などは、中国の万里の長城まで攻め込んでいた。
という歴史があるわけです。
かつて、トルコは大国でした。
そして、十字軍の戦争などにより、再びキリスト教勢力が勢力を伸ばし、また領土を回復していったという歴史があるわけです。
ヨーロッパのここ数十年の流れ
そして、ここ数10年の大きな流れとして、小国の集まりであったヨーロッパは、EUというものを作り、巨大なキリスト教国家を再構築しようとしたわけです。
ある意味、第4次ローマ帝国、とも言えるものなわけです。
ドイツのヒトラーが作ろうとしたのが第3帝国。
再び作ろうとしたのが、現在のEUは、第4帝国という言い方もできるわけです。
しかし、このEUですが、周辺国を巻き込んで巨大化して行くにつれ、宗教や文化というものが入り乱れるようになり、混乱するようにもなって来ました。
難民受け入れによる悲惨な現実
そんな中、起きたのが難民危機だったわけです。
ヨーロッパ、先進国の中でも、一番貧しい国はギリシャです。
そして、ギリシャはたくさんの島国で出来上がっています。
そんな中、ギリシャで有名なリゾート地であったレスボス島という島。
これはもう、トルコからあっという間にボートで着ける距離にあるわけです。
多くの難民たちは、中東からトルコを抜け、そしてこのレスボス島を目指したわけです。
レスボス島という島は、決して治安がよく、決して巨大な政府があるような島ではありません。
そもそも論で言って、行政が崩壊状態にあった、財政破綻状態にあったギリシャは、まともな難民審査が出来るような状態ではありませんでした。
EUにおいては、シェンゲン協定という人・モノ・金の移動の自由が保障されたEU内。
そして、それ以外。
という形で分かれます。
そして、難民や移民が入ってくる場合、まずこの最初の殻にあたる、最初に入国した国で入国審査を行い、難民の条件を整えた者だけを中に入れる、整えられなければ外に出す。
追い出すという作業をしていたわけです。
しかしギリシャには、それだけの行政を賄う能力はありませんでした。
そんな中、海で子供の死体が出たために、それを見たメルケルは、「難民いらっしゃい」という事で、難民ウェルカムをやってしまった。
その結果、何が起きたかといえば、難民たちの大行進が発生してしまった。
しかし、そんな中で、治安が悪化し、そして地元に馴染めない難民たちが多数出てくると、ヨーロッパはこれをなんとかしなくてはいけない、という事になり、トルコに引き取ってもらうという作業を行ったわけです。
トルコに対して60憶ユーロの融資を行い、そして難民キャンプを作り、トルコに送り返した。
しかし、再びこのトルコが、この国境を開いてしまった。
結果、大量のシリアなどの難民がトルコを目指し、そして再びヨーロッパ、ギリシャを目指している。
前回よりも、大規模な難民爆弾がヨーロッパに訪れようとしており、これをどう解決していくのか、というのが、今、大きな問題になりつつあります。
そして、答えはない、というのが現実なのでしょう。