グローバリズム・新自由主義とは一体なんなのか?※馬渕睦夫大使に学ぶ※

グローバリズム・新自由主義の正体

これから、お話申し上げる事は、一つの柱ですね。

それは、歴史修正主義という事なのですが。

そういう言葉は、直接的には使わなくても、私たちが今までなんとなく思いこまされてきた隠された歴史というものを白日の下にさらすといいますかね。

そういう作業なわけですね。

最近、ディープステートという言葉が、かなり流行ってきましたけれども。

これは、いわゆる、ユダヤ問題なんですね。

こういうユダヤ問題という言い方自体が、日本のメディアリテラシーっていいますか、地上波、あるいは伝統的な新聞では、絶対に取り上げる事が出来ないタブーなんですね。

それ自身は、長い歴史があるわけなんですが。

しかし私が、ユダヤ問題を取り上げる時に、それを否定的側面から取り上げているわけでは決してありません。

いわゆる陰謀論の視点から取り上げているわけでもないんですね。

ユダヤ勢力が、誤解されないように、彼らの立ち位置といいますか、実際の彼らの行動が、どういうものであるかという事を正しく理解する。

それが、今、必要になっているわけですね。

それが正しく理解できないと、あるいは、それをシャットアウトして、目を背けていると、結果的にはユダヤ人のかつてあったような迫害というものに繋がる、むしろ危険があるわけなんですね。

ですから、再三申し上げているのは、万が一、かつてあったようなユダヤ人が迫害されるような事態を避ける為に、我々は、真実を知る必要があると。

そういう視点から、申し上げているわけです。

この問題を、陰謀論だと言って片付けてしまえば、我々は、本当の世界なり、歴史を知る事が出来なくなる。

そういう意味では、いわゆるユダヤ勢力にとっても、好ましくない事なんですね。

陰謀論というのは、議論をシャットアウトするおまじないのようなものですね。

そういう議論をしたくないと。

もっとはっきり言えば、ユダヤ問題は、議論したくないという事なんですね。

そういう方は、おそらく勉強はしておられないんだと思いますし、勉強はしておられても、特定の利害間家があって、仰らないのか、それはよく分かりませんね。

同じように、陰謀論のたぐいに近いものですが、例えば、FRBが民間銀行であるという事を言うと、これにまともに答える良心的な、保守的な経済学者は、事実上いないという事ですね。

我々は、本当の事を知った後で、対策を立てなければならないという私の基本的な立ち位置を、改めて繰り返しおきたいと思います。

ですから、陰謀論という言葉に惑わされてはいけないし、陰謀論という言葉は、議論をシャットアウトする、そういうラベルを貼る事によって。

そういう意味では、陰謀ではないんですが、世界を動かしている人の真実に迫る事を阻止するという手の込んだタクティクスなんですね。

それを知らずに、陰謀論だと言っている保守系の人も少なからずおられるわけなんですね。

ですから、そういう方は、知らず知らずのうちに、そういう人たちの、事実上の代理人を務めていると言われても、しょうがないような状況なんだと。

そういう方が、私は代理人だとは、決して思いませんけれども、結果的には、そういうユダヤ勢力についての、正面からの議論を避けてしまうという事において、結果的には、代理人的な役割を果たしてしまっているという事ですね。

これはやや、手厳しい言い方ですけれども、実際に、今起こっている事と言いますか、私も経験しましたが、保守系の方と議論をしていましても、FRBの事になると、血相を変えて反論される方が、必ずいらっしゃるんですね。

だから、結局、保守と言ってもですね、本当の意味では保守ではないというわけなんですね。

今、申し上げている世界情勢から言えば、つまり、グローバリストでるか、あるいはそうでないかというか。

グローバリストに反対するというか、グローバリストを警戒しているか、あるいは、グローバリストを擁護しているかによって、表向きは保守と言っていても、実際は、保守ではないという事が明らかになるんだと思います。

抽象的な話になりましたけれども、グローバリズムというのが、いまいち分かりにくいという事なのですが。

結局これは、はっきり申し上げますが、ユダヤ思想なんですね。

ユダヤ思想という事と、ユダヤ人という事は、区別しなければならないんです。

我々は、知らず知らずのうちに、ユダヤ思想に染まっているんですね。

その事が、いいか悪いかではなくて。

そのグローバルという思想は、元をたどればユダヤ思想であるという事を知る必要がある。

それを知ったうえで、グローバリズムに賛成だというなら、それはそれでいいわけですね。

しかし、それを理解せずに、ただ、グローバリズムはいい事だとか、グローバル市場活躍したいなんて思う事は、やはり将来失敗する素になるんじゃないかと、心配しているわけなんですね。

だから、ユダヤ思想、それもユダヤ普遍思想なんですね。

我々が、どうしても理解がなかなか難しいのは、そもそも日本においては、いわゆる欧米世界が経験したようなユダヤ問題というのは、日本では存在して来なかったという事なんですね。

ですから、それはピンとこないという事でもあるし。

たまたま、その話が出ると、非常にきわどい内容だったりして、やれ陰謀論であるとか、ある雑誌が廃刊になるとか。

そういう面で、我々はユダヤ問題というのを捕らえがちなんですが、実はこれは、旧約聖書をお読みになればお分かりになるのですが、その頃から、要するにグローバリズムの問題、ユダヤ普遍思想というのは、実は存在しているわけなんですね。

少し、専門的な話になりますけれども、私もそれは、いわゆる旧約聖書で読んだり、ユダヤ人が書いた歴史の本を読んで勉強したわけですけれども。

元々、ユダヤ思想の中にも2つの流れがあって、一つがユダヤ民族主義の流れですね。

それから、もう一つがユダヤ普遍主義なんです。

グローバリズムというのは、この中のユダヤ普遍主義の事なんですね。

旧約聖書を読みますと、預言者というのが出て来るのですが、預言者というのは、神の言葉を預かって、つまり、唯一神、ヤハウェの神の言葉をイスラエルの国民に知らせる、そういう役割を担った人が預言者なんですね。

その預言者の中にも、普遍的な思想を広めた人と、民族主義的な思想を主張した人の、2つの流れが、いわば交互に現れて来ているんですね。

ですから、今、世界はグローバリズムが席巻しつつあったんですけれども。

100年のグローバリズムの主流の流れが、今、終わりつつあって。

それに代わるナショナリズム、民族主義の時代が始まりつつある。

こういう時代設定といいますか、時代認識だと思います。

それはかつて、旧約聖書の世界でも、起こっていた事なんですね。

ある時には、普遍主義を唱える預言者が現れて。

我々にはあまりなじみのない名前ですけど、例えばアモスという預言者とか、それからイザヤというような預言者が出て来ます。

感心のある方は、聖書を読んでいただければ分かりますが、そういう人達は何を唱えたかというと、人類は皆兄弟である、というような普遍的主義を唱えたわけですね。

ところがその後で、ユダヤ民族の重要性というか、これは、間違えば選民思想になるのですが、ユダヤ国家の重要性というのを唱えた預言者が現れてくるわけですね。

これは有名なホセアという人がいるんですが。

しかし、その預言者の後で、またユダヤの国家が滅びたりするわけですね。

そうするとまた、普遍的な思想家が、預言者が現れてくる。

これの、いわば繰り返しなわけで。

それが、現在まで、実は続いているわけですね。

何が言いたいのかと申しますと、今のグローバリズムというのは、ユダヤ普遍主義の事であるという事なんですね。

しかしそれは、未来永劫、永遠に続くものではないという事は、そのユダヤ人の歴史を見れば、聖書に書かれている歴史を見れば、分かる事なんですね。

その次に、今、ナショナリズムの波が強くなって来ていると。

こういう時代認識というものを、私は皆さんと共有したいと思っているわけです。

つまり、一つの時代の潮流から、次の時代の潮流に移る、その時期にあるわけですね。

ですから、色んな紛争が、世界規模で起こっているわけです。

こういうふうに対局的に見ますと、今の世界情勢という者は、ある意味で分かりやすいんですね。

なぜ、こんなにも紛争が起こるのかと。

それは、残念ながら、人間の魂というのは、何も進歩していないという事の裏返しでもあるんですね。

それは、話が飛びますが、古事記を勉強されると分かるんですが、魂というのは、元々、最初から完璧なものですから。

それが、進歩する、進歩しないというのは、いわゆる西洋的な進歩史観に毒されているというと悪いのですが、影響を受けている発想ですね。

進歩史観というのは、人間は、いわば一直線といいますか、永遠に進歩するものだという思想ですね。

ですから、その進歩の方向に合わないものは、倒してもいいという独善的な発想になるわけですね。

かつて、そういう事が唱えられたのは、我々もよく知っていますが、共産主義だったんですね。

共産主義は、歴史の必然であると、我々は教えられましたね。

だから、いずれ日本も共産主義国家化するという事ですよ。

それはもう歴史の必然だからそうなるんだという事ですね。

しかし、歴史というものは、進歩史観といいますか、彼らが想定した通りに動いていないわけですね。

むしろ、日本の歴史というのはそうではなくて。

復古主義といいますか、元々完璧な世界があって、それが色々と歪んでいるから、それを元に戻すというのが、簡単に言えば、日本の伝統的な歴史観です。

ユダヤキリスト教の歴史観というのは、そうではなくて。

世界は、ある方向に向かって一直線に動いているんだという事ですね。

そこの根本的な違いがあるのですが。

その一環として、グローバリズムというのは、生まれて来ているんですね。

共産主義も、グローバリズムの一側面ですね。

我々が今直面しているグローバル市場化というものですね。

これも、要するに進歩史観の一つなわけです。

日本も、今、このグローバル市場化の波に襲われているわけですね。

ところが、それはただ単に、人・物・カネの自由往来を確立して、国境を無くして、世界を一つの市場で統一するという事が、自然な価形で、つまり、未来のあるべき姿として、今、そういう方向に向かって動いているのでは、決してないという事ですね。

その事を理解する必要があるわけです。

それは、作られた進歩史観ですからね。

それは、誰がそういう事を作ったのかというと、共産主義の思想者と、このグローバル主義の思想者は、同じ人達なんですね。

つまり、ユダヤ普遍主義の思想なんです。

それの表現の仕方が違うだけであって、この2つの根は同じなんですね。

それを、ユダヤ普遍主義というふうに括る事が出来るんだと思います。

何度も断っておきますが、これは、ユダヤ陰謀論でもなんでもないんですね。

思想の話なんです。

ですから、非ユダヤ人が、ユダヤ思想に染まっているというか、信奉者が多いわけですね。

例えば、デーヴィッド・ロックフェラーも、そうなんです。

彼は、完全にグローバル思想に染まっている、ユダヤ普遍主義者なんですね。

それ以外にも、日本にも沢山いるわけですね。

日本の政界にもいるわけです。

自民党の重鎮の中にも、いわゆるユダヤ普遍思想に、グローバル思想に染まっている人が沢山いるわけですね。

だから、ユダヤ思想というものは、決してユダヤ人だけの独占物ではないという事なんです。

日本人の中にも、ユダヤ思想の犠牲者がいるわけですね。

それは、残念ながら霞が関の官僚も、殆どが、ユダヤ思想に染まっているわけですね。

それは、彼らはユダヤ思想という言葉を理解していないといいますか、言葉では理解していなくても、例えば新自由主義という経済政策を取っているわけですね。

新自由主義とは何かというと、その裏側にあるのは、ユダヤ普遍主義なんですね。

そういう事を、今の霞が関の官僚、外務省も含めてですが、経済官庁の殆どが新自由主義の思想に基づいて、政策を立案しているわけですね。

それが、移民法案しかり、ヘイト法しかり、そういう所に表れて来ているんです。

それを、我々が見る場合には、分からないわけですね。

安倍総理のもとで、なぜこういうのが進んだのかと言うと、日本の官僚が、あるいは政治家の殆どが、新自由主義者であるわけですね。

つまり、ユダヤ普遍主義の実践者なわけですよ。

それがいわば、グローバリズムの正体なんですね。

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