【日本の歴史】真実の明治維新!西郷どんは学べない西郷隆盛の真実!渡部昇一

真実の明治維新

明治維新というのは、世界史という枠組みからいいますと、大雑把にいってコロンブス以来350年くらいになりますかね、最大の事件の一つだと思います。

あるいは、もう少し遡って400年くらい遡ってもよろしいのですが、それはあのトルコの海軍が、レパント沖で西ヨーロッパの海軍に敗れて以来、400年くらい以来の大事件だと思うわけです。

と申しますのも、その頃から、ヨーロッパの急に強くなった国々、分かりやすく白人と言っておきますが、この人たちが、有色人種の所に押し入ってですね、程度の低い所は皆殺し、少し使い物になりそうな所は奴隷、もう少し上の所は、不平等条約、あるいは植民地、という事をやり続けて、ざっと350年というところでありました。

ダーウィンを悪用した人種差別

そして、明治維新の頃ですね、その頃にはもう、ダーウィンの進化論が自然科学として認められておりました。

ダーウィン自身は、種の起源を求めたのでありますけれども、それを応用する人がいっぱいいました。

それは、その、非常に低級な動物がどんどん高くなっていくと。

まぁ、簡単にいいますとそれが進化論ですね。

そして、人類にまで至りますとですね、色によって人類の段階をつけるという事がありましてね、濃いほど悪いんですな。

黒人でしょ、その次が赤い人、これがインディアンですね。

その上に黄色いのがいて、その上に白人がいると、そういう事なんですね。

この順序だと言うんですね。

あらゆる面でそれが言われました。

あの、言語学でもですね、大体当時、分からない言語がいっぱいあったはずなのに、西洋の言語学では、言語の発達の3段階などと言う事がよく言われましてですね、

一番分かりやすいの例で言うと、ポッポッポッポというのでシナ語、それから日本語みたいなのが付いたのがその次、そして、語尾変化をやってやるのが、一番上と。

まぁ、自分たち白人の言葉ですね。

そんな事を言っておったわけです。

白色人種と有色人種の結婚は犯罪

ですから、初期の頃、アメリカに移民した最初の頃は、シナ人、その次に日本人が行ったわけですが、こっちから行ったのはね。

当時の言語学の本にもですね、有色人種と白人種が結婚するのは、犯罪であると言うんですよ。

その理由は、進化に逆行するからだと。

そういう事がね、まぁ言われていた時代なんです。

そして、その頃の日本が、鎖国を開いた頃にですね、それはまぁ、ダーウィンの進化論が出てから約10年後ですが、10年も経っていませんね、数年後ですが…

白色人種に対する無力感

その頃になりますとね、ナポレオン戦争が終わってから、もう50年以上経っているわけです。

ナポレオン戦争自体が、ご存知のようにですね、あれだけの大砲を使い、あれだけの軍艦で大砲を撃ちまくった戦争です。

それから、50年、どの国も必死になって軍備競争をやっているわけですよ。

もう、有色人種の国なんか問題じゃないんですね。

喧嘩も何も出来ないという感じでありました。

はじめのうちは抵抗する国もありましたけれども、それはもう、抵抗したんですけどね、至る所で、ですが、コテンパンにやられたわけです。

アメリカ大陸のインディアンだって、はじめは強力な敵対者でありましたけれども、もうそのうち、徹底的にやられて、おとなしくなっちゃってね。

「インディアンは嘘つかない」なんて言っていますけれども、かつてのインディアンなんてものではなくて、非常にひわいな言葉で言えば、きんぬきされたような顔になっちゃったんですね。

インドももちろん抵抗しましたが、これもコテンパンにやられて、イギリスには絶対に手を出しちゃいけないという感じになりました。

ビルマ、インドネシア、みな同じ。

中国が白人に遠慮する理由

中国でもですね、当時、清国でありますが、これも香港を取られるとかですね、その前にアヘン戦争とか、南京事件とか色々あったんですが、いずれもコテンパンにやられて、白人には絶対に手を出すな、という風にだんだんなっていくわけですよ。

今でも、チャイニーズは白人たちに対しては、非常に、なんといいますか、遠慮してますね。

まぁ、その期間が長かったわけです。

白人の前提を崩した日本人

ところが、明治維新の時の日本というのが出たもんでですね、それまでの白人積み上げてきた、積み上げてきたというか固めて来た前提が崩れたんです。

その前提とは、どういう事かというと「自然科学が出来るか」という事ですね。

それから、「それを使った近代産業が出来るか」という事。

これが出来るのは、青い目をして生まれなければ出来ないと、こういう、誰が言ったわけでも無いけれども、それが浸透しておりました。

全ての白人の信念になっていたんですね。

で、もっと恐ろしい事にはですね、この白人にしてやられる方の有色人種も、そう思い始めていたわけです。

もう、どうにもならんと。

それでまぁ、清国は金があったもんですから、軍艦を買ったり致しました。

しかし、まぁ白人に対してはダメ。

最後にしたのが、1900年の英語でいう所のBoxer Rebellion、北清事変ですけども、あれが最後の足掻きで、あれで木っ端微塵にまたやられたわけです。

日本に鉄砲が普及していた理由

ところは、日本の方はどうだったかと言いますとですね、これはちょっと明治維新を遡って考えないと分からないんですけれども、徳川幕府が始まった頃の、鉄砲の状況を一つ、考えてみようと。

日本は、他の有色人種とは、基本的に違っておったのです。

それは、鉄砲というのがずっと広がっておりました。

それで日本には種子島に鉄砲が何丁か来たわけですが、それがあっという間に九州から、紀州、それから近江なんかに移って、もう鉄砲の改良型の大量生産が、行われていたわけです。

それで、まぁ有名な鉄砲を使った戦争では、織田信長の長篠の戦いですか、武田の軍勢を破ったと、あの時も、柵を作って、突っ込まれないようにして、その陰から交代で休まず撃つという方法ですが、こんなのがヨーロッパの現れるのは、それから70~80年も遅れております。

日本の方が、鉄砲の使い方でも、もう先進国になっているんですね。

鉄砲の性質も、当時はむしろ良くなっている。

そして、最後の徳川幕府を作る最後の戦いになりました、大阪城での戦い辺りは、敵味方合わせて、鉄砲の数がはっきりは分からないですけど、数千丁から多い時は一万丁近かったと言われています。

一つの戦場にですね、一万丁の鉄砲を、あの時代に集められる国はないんです。

どこの戦場にもないんです。

ヨーロッパ中、どこにもないんです。

だから、鉄砲だけでもですね、日本はまぁ、当時の最先進国になっておったのです。

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