武田邦彦 特攻隊はなぜ誕生したのか?個人は本当に個人のものなのか?日本の戦いの意味!

なぜ特攻隊は誕生したのか?

2つのことが考えられますね。

1つは、先ほど言いましたように、なぜ1945年に日本に特攻というものが誕生したか、というと、これは明治以来、もしくは平安時代以来の日本の歴史の中の1つとして、特攻の青年というのが登場した。

日本を、全部有色人種として唯一残った独立国家日本を、白人側に寝返った中国とかが攻めてくる。

それに対する反作用として、最終的に特攻というのが出てくる。

日本が戦争に敗れる。

戦争に敗れることは、戦いに敗れただけで、思想的に敗れたわけじゃないんですが、戦いに敗れる最後の過程では、やっぱり私は、これだけ大きな時代の変革には、やっぱりこうした若者の犠牲を求めたんだろうと思うんですね。

よく、宗教とかそういう昔で犠牲を求めるという言い方をして、神は犠牲を求めていた。

これは、ある意味では本当なんですね。

ナポレオンのワーテルローの戦い

横に、ナポレオンのワーテルローの戦いの、最後のちょっと前の局面を書きました。

真ん中の白馬にまたがるのがナポレオン、その右側に、少し5、6人の騎馬がいますけど、それが幕僚ですね。

それが最後に戦場で、近衛兵、この時近衛兵というのは5連隊くらいあったように記憶しているんですが、そのうちの3連隊くらいは、敵の中に突撃させます。

それまでナポレオンの近衛兵というのは、負けたことがないと言われた、貴族の息子で構成されておりまして、戦場では命を絶対に惜しまないという、最強の軍隊でした。

この3連隊くらいを、イギリスとかオランダの連合軍に対して突撃させます。

この作戦は一部成功し、かなりの戦況回復になったんですが、最終的には、衆寡敵せずで、ナポレオンの近衛兵は破れます。

最後の最後は、今度は近衛兵が方陣を組んで、最後の死に場所を求めるんですね。

それに対して、もう戦いの帰趨は決まってるんだから降伏しろと、呼びかける敵方の将校と、いや、降伏しない、我々はプライドのあるフランス帝国の近衛兵だ、殺せ、という場面が出てきます。

フランス人貴族の子供たちの命を求めた歴史

人類が自由というものを知った時の最後の戦いでは、フランス人の貴族の子供たちの命を求めたわけですね、歴史は。

若者の命を求めた日本の最後の戦い

そして今度は、人類から差別というものを最終的に取り去る、第二次世界大戦の日本の最後の戦いでは、やはり年若き青年の命を求めた特攻になったわけです。

日本では、歴史というのは非常に歪曲されているというか、部分的な見方というのが非常に多いものですから、日本史は日本史、世界史は世界史として専門家がいる。

だからナポレオンのワーテルローの時の、ナポレオンの近衛兵の動きと、日本の特攻隊の動きを比較したという例はほとんどない。

個人は個人のものであるのか?

したがって、日本の特攻隊というものを、異常な存在であると思う人も多いんですけど、

長い歴史を見れば、ギリシャローマ時代から入れて、多くの民族は大きな変革の時の最後の舞台では、やっぱりナポレオンの近衛兵とか、日本の特攻隊というものが出てきて、それが歴史の最後の締めくくりをする、ということですね。

これは1人の人間というものが、大きな歴史、もしくは人類全体の命というものに左右されて活動するということを意味しているんではないかと思います。

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