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科学的に真実にたどり着く方法
科学というものはですね、対象物に寄らないと。
例えばですね、対象物が宇宙であれ原子力であれ、経済であれ、人間であれですね。
対象物ではなくて、対象物に対して考え方ですね。
事実を中心に、とにかく事実を整理してそこから合理的・論理的に推察できる事を考えるというのが科学なわけですね。
宗教家ですとですね、宗教に基づいて信ずる宗教に基づいてものを考えるでしょうし。
小説家ってどっちかって言うと、やっぱり感情とか直感とか、そういったものを大切にされるんじゃないかと思ってるわけです。
ですから私なんかですね、もちろん私が法律の事を話したり、政治の事を話したりすると。
専門家が議論を独占する手口
武田は専門外だ、とこうよく言われるんですけども専門外ではないんですね。
アプローチの仕方ってか、考え方として事実から離れないってことですね。
ですから専門ってのはいくらでも狭く出来るわけで、私は物理の専門とも言えるし、資源の専門とも言えるし、機械の機械工学科ですから機械の専門とも言えるし、
長く原子力やってきましたから原子力の専門とも言えるんですが、原子力でも発電所をやってたわけではありません。
だから私のこと、原子力なんか武田は原発なんか専門外なのに、なんて言われることもあってですね、どこまでも狭くすることも出来るわけですね。
ところで、私がそういうちょっと前置きをしましたのは。
日大アメフト部事件の真相
最近ですね、日本でいろいろマスコミなんか話題になってる、例えば日大のアメリカンフットボール事件ですね。
学生が記者会見した、監督側も記者会見した、学長も記者会見した。
したら、こっちはこう言ってるあっちはこう言ってるっていう、それでどうも言い分が違うと。
いうようなことで、繰り返し繰り返し皆が議論して沸騰してるわけですけども。
私はですね、やっぱ事実を見たいわけですね。
そうすると、あの事実のプレーはですね、どういうプレーかっていうと。
クォーターバックがですね、味方の先行するところにパスを出した、それが外れた。
それで、クォーターバックはもう外れたこと分かってて、残念な感じのジェスチャーをした。
そこで今度後ろから、突っ込んできたのがですねそのクォーターバックを倒したという、そういう事件なわけですね。
ですから、もちろんこの事件は通常のアメリカンフットボールのプレーから見ればですね。
クォーターバックの手から離れるか離れてないぐらいの時に、クォーターバックをタックルするっていうのは、普通のプレーでですね。
それがちょっと遅いと、15ヤード罰退とかいろいろその反則を取られるわけですね。
つまり、クォーターバックの手の中にある、ボールが手の中にある時にタックルしなきゃいけませんから。
ところがあれはもう全く違って、4秒くらい経ってからですから。
まぁビデオを見ると、彼がタックルした選手、日大の選手が走り出したのは、むしろもうプレーが終わった後ぐらいなんですね。
それから、3秒くらい走ってタックルしてますから、これはもう完全に意図的であるってことがまず第一ですね。
そうすると、ベンチがですね。
最初に乱暴なことをしろと、一応言ってるわけですから、彼の動きは注目していたと思うんですね。
アメリカンフットボールのベンチっていうのはですね、オフェンス側ディフェンス側のコーチもいるし、いっぱい人がいるんですよ、30人くらい、だから皆が見てますからね。
それでもちろん監督、あれも審判も見てて審判も3人くらいいるんですけども、フラッグを投げて、笛を吹いてるということなんで。
誰でもあのプレーを見てたんですよね。
明らかな危険行為を容認した日大の監督とコーチ
そうするとですね、普通だったらあんなに酷いプレーの場合はですね、
コーチは、あのベンチは、必ずその選手を変えます。
で変える時は、私がこの前言ったように新しい交代の選手が行って、その選手と変わります。
その交代が終わるまでは、プレーが再開されませんので、まぁタイムとってもいいですからね。
ですから、あの時に交代させなかった理由は何かということをはっきりさせれば、これは事実になるんですね。
またもう1回ラフプレーして、3回目のラフプレーで退場になったんですが。
日大のベンチは、なぜあのプレーを見て退場させなかったのかっていうのが、これが科学的考え方なんですよ、言った言わないじゃないわけですね。
言った言わないで事実を隠蔽する日本のマスコミ
言った言わないをいつまでやってるのは、これはわざと揉めようとしてるわけですね。
国会でもそうですけども、もう2年くらいですね森加計、森加計とやってるわけですよ。
それで今度なんか、酷いのは2014年か2015年の愛媛県のあった書類が今頃出てくるんですよ。
それねもう、何年か前あの2年くらいやってるんですから。
事態を明らかにさせるための資料はですね、できるだけ早く出すのが関係者の大切な事ですよ。
その意味では別に僕、愛媛県に辛いとか、安倍さんにいい方っていうんじゃないんですけど、もうちょっと早く出してくれよと。
そうしなきゃ、議論したって意味ないじゃないかっていう感じんなるんですよね。
マスコミの原発事故報道の酷いありさま
でこれの1番酷かったのが、原発事故のメルトダウンの話なんですね。
原発事故は2011年の3月11日に起こったわけですね。
それが爆発したのは、これが地震が3月11日、爆発したのそれから数日間に渡って1号機3号機4号機と爆発したわけですね。
それで、爆発から1週間から10日ぐらい経ったところでですね。
原子力関係者は、これはもう原発はメルトダウンしてると、で多分あの鉄はだいたい1700℃くらいで溶けますし。
それから内部の温度は2500℃くらいまで上がったと考えられたので。
メルトしてですね、燃料がメルトして下に落ち、落ちたものが下の鉄板を破って。
鉄板ってすごい厚いんですよ。
15センチぐらいありましたか、すごい厚いんですけども、それも破って抜けただろうと、いうふうにおおかたの原子力の人はその当時書いてありました。
ネットなんかにですね。
私もそんなふうに書いていました。
福島原発のメルトダウンを隠蔽したテレビと新聞
おそらくこれはメルトダウンしてる、もっと専門的に検討してる人は。
メルトダウンして床ほうに落ちたもののですね、大きさがだいたい1センチからもうちょっと小さいんじゃ直径がですね、1センチからもうちょっと小さいんじゃないかっていうなことも書かれておりました。
でまぁ3月の終わり頃にはですね、もうそういう状態っていうのはおそらく技術者としては当然の事だったわけですね。
ところが、日本の新聞もテレビもメルトダウンのことは一切書きませんでした。
そして、ずっと書かないでついにあの4月の25日ですね、事故から1ヶ月と半ぐらいが経った時にですね、1ヶ月と10日くらいですか経った時に。
外人向けの記者会見と、それから東電がですね東電と保安員が外人向けの記者向けの記者会見と、日本人の記者向けの記者会見の二つ行っておりましたが。
東電の会見に外国人記者がいなかった理由
日本人の方は、日本人記者の方は満席でしたけど。
4月25日だったと思うんですけども、外国人記者の記者会見場は誰も出ていかなかったわけです、空だったわけですね。
空の記者席に向かって、保安員の人とか東電の人が少し話してましたけれども。
なぜ空になったかって言うと、もう嘘を言ってることが明々白々だったんで、嘘の取材をしてもしょうがない。
あの頃私なんかにも、外人、外国の記者とかいっぱい取材が直接ありましたね。
一生懸命取材して、事実を明らかにしようとしてたんですね。
日本の記者は、全然連絡もなに取材も来ませんでしたね、それは東電の言うことを記事にしてたんですよ。
メルトダウンを隠蔽した白々しいマスコミ
そして5月15日だと思うんですけど、ちょうどその日私ね、どっかのテレビ局、地上波のテレビ局の昼のニュースに出てたんですよ。
そして大々的にですね、東電・福島原発メルトダウンしてた、東電認めるって言う記事が出て。
そこのテレビの解説者がですね、やっぱりメルトダウンしてたんだって驚いたわけです。
驚いてみせたわけですよ。
僕はね、何言ってんですかって言ったんですよ。
メルトダウンしてるのは2か月前から分かってますよと。
だけどそれを、東電が言わなかったってことなんですと。
事実は東電が言うかどうかに関係ありません、と僕言ったんですね。
事実は事実として存在し、マスコミは事実を調べるんですと。
だから、常に今のテレビも新聞もですね、言った言わないを記事にして事実を記事にしないんです、つまり取材しないんですよね。
福島の原発事故を取材して、メルトダウンしてるかどうかを取材すればですね。
少なくとも、どんなに控えめに見ても、3月の末にはほとんどの原子力の専門家はメルトダウンしてるって言ってましたから。
そこで記事にすればいいのに、おっかなくて記事に出来ないんですよ。
要するに、公式に言われたものしか報道しないって言うことですね。
ですから、東電とか保安員とかが言えば、それ記事にしてみて驚いてみせるわけですよ。
驚く必要は、全くないんですよ。
だって、もう分かってる、記者は多分もう全部分かってたと思うんですねあの時、5月15日。
分かってるのに関わらず、驚いてみせる。
取材をしないテレビや新聞は無意味
こういったですね、取材をしない新聞とかテレビってメディアは、何の意味もないですよね。
言った言わない、言った言わないだけのことを報道してるという。
現在の国会でも、ちょっと調べれば分かる事がですね。
あの人がこう言った、この人がこう言った、それが違うじゃないか、安倍さんが何と言ったそれは違うじゃないかって、そういうことじゃなくて。
事実を調べると、いうことが1番大切なんじゃないかと私は思います。