幸福を探求する上での1つの参考資料
例えば動物がこうするとか、男性と女性がこうだとか、それからお釈迦様とイエス様がこう言われたということは、いずれも私たちが、幸福と考えるものを探求するうえでの、1つの参考資料と言ったら怒られちゃうんですけど、そういうものだということですね。
最終的には、それを我々は咀嚼しなければいけないですね。
私はよく講演なんかで言うんですけども、仏教を信じている人とキリスト教を信じている人がいるんですけど、僕はちょっと傲慢じゃないかという気がするんです。
こんなことを言うとまた問題なんですけど、つまり仏教を信じるかキリスト教を信じるかというのは、自分より上の人、お釈迦様とかイエス様を比較して、どうもイエス様のほうがいいからキリスト教、という感じもするんですよね。
そうしますと、自分より実力が上の人を評価できるかということになるので、僕はお釈迦様も偉いんで、どのくらい偉いか分かりません、イエスキリストと比較することなんか到底できません、両方共一応参考にさせていただきますと、こんな感じになります。
ここでは非常にフリーに考えていますので、科学的根拠か直感かというのも含めまして、ここでは宗教的な考え方というのをまとめてみました。
女性の幸福と男性の幸福
この幸福の問題を考えるにあたって、ずっとこれまでは男性も女性も一緒にしてやってきたんですけれども、やはり女性の幸福と男性の幸福というのは、相当違うんじゃないかと思うんですね。
これを無理やり人類だからというくくりをしますと、やっぱりちょっと無理があるんじゃないかと、したがって男性と女性の幸福を全く別に、いわゆる幸福論というのは2つに分けなきゃいけないんじゃないか。
つまり女性の幸福は女性の幸福として検討し、男性の幸福は男性の幸福としてやらないと、男女同権だとかそういうのが決まってるんで、男女同権というのは権利は決まってるんですが、幸福というものを対象とする場合は違うんじゃないかと思うんですね。
女性だけが持つ子供を産めるという能力
男性の体と女性の体となぜ違うんだと、一緒にして論じなきゃいけないじゃないかとか言ったって、それは同じにならないんですからしょうがないですね。
女性の一生というものは、生物として極めて重要なこと、つまり子供を産み子供を育てる、それから人間の場合だけは、人間のメスの場合だけは閉経後生存しますので、お世話をするという、
したがって子供を産み子供を育てお世話をするという、3つの非常に大きな柱で成り立っておりまして、この仕事がものすごく重要なものですから、他の能力を犠牲にして、減らして、女性というのは体を作っているわけですね。
例えば筋肉は最低限である、それからその他のいろんな機能、頭脳の機能なんかもそれほど発達させない、そうしておかないと、例えば男性のように何もやることがなければ、筋肉を発達させ、血流を増やし血圧を上げ、いろんなところに活動ができるわけですね。
頭脳活動もできるし、いろんな活動もする、筋肉労働もする。
すると女性の場合は、頭脳活動、筋肉労働、できるんですよ。
だけどそれと、子供を産み育てるというものとが両立しないんですよね。
両立しようとすると、現在の女性の体を2倍くらいにして、血圧も200を超えるということをしなきゃいけないんですが、
そういうふうにするよりか、子供を産むのに集中しようということで、身体もやや小ぶりであり、血流も少なく、カロリーの消費を抑えるということですね、自分自身のカロリーの消費を抑えて、おなかに子供ができたときにそれに応じることができるという体の構造をしているわけですね。
女性と男性の子育て
ですから女性の一生は、結婚までは健やかに育ち、結婚して子供を産み、2人は最低産まなきゃいけませんから、種族が続きませんから、平均3人としますと、3人産み、そしてその子たちを育て、
育てるのは男も育てたらいいじゃないかって言うけどこれは間違いで、男性は性格的にも1番極端には哺乳動物のオスの、父親の子殺しというのがあって、子供を育てるには向いていないんですよ。
もともと全然向いてないんですね。
性格的にも体も向いてない、これは向いてないから男性が子育てをサボるとか、そういうんじゃなくて、全然そんなケチな話はしたくないんですね。
母親と父親の幸福
それで幸福な子供が育っていくときに、本当に無上の幸福を感じるわけですね。
無償の愛ですね、お母さんの無償の愛。
そして子供たち孫たちに囲まれて、幸せな一生を過ごす。
ここには男性は出てこないんですよ。
夫婦は出てこないんですよ。
ここは間違えるから、女性は若いころ健やかに育ち、子供を産み子供を育て、孫やなんかの世話をしながら、それに囲まれて幸せな人生を送る。
女性中心ですね、もちろん。
じゃあ男性は何かというのは難しいんですよ。
男性はまず、幸福という状態が存在するかということを考えなきゃいけないんですね。
動物、哺乳動物を例えば考えてみますと、一夫一妻のものもいますよ。
例えば熊を考えますね。
熊は連れ合いというのがいるんですけど、いつも一緒じゃないんですね。
母親と子供は一緒ですが、父親はセックスの時だけいて、あとはもういないんですよ。
狼なんかは非常に仲がいいので一緒に住んでいるように見えて、メスの生活とオスの生活は全然違うんですね。
メスは子育てをする。
オスは敵と戦うのとエサをとってくるということで、全然バラバラなんですね。
これはほぼどの動物でもそうなんですよ。
だからもともと動物というのは女性と男性を、メスとオスを合わせて一種類じゃないんですよね。
メスが中心でオスは外側にいるというのが、もともと動物の形なんですね。
人間でも、亭主元気で留守がいいというのは、あれは本当のことですね。
誠に、生き物としての人間としての本性をよく表しているわけですね。
幸福を感じる事が出来ない男性
私は男性なものですから、男性は幸福を感じることができませんね。
男性は葉隠れじゃないけど、死ぬことと認めたりというか覚えたりというか、そんな感じですね。
つまり、男性は死ぬことを目的に生きているようなもんなんですよ。
子供も自分で産むわけじゃない、育てるのもろくなことじゃない、敵が来たら戦って死ななきゃいけない、これは例えば小学校4年生の副読本にあるように、10匹の魚の群れがいると、全部メスなんですね。
そのうちの1番体の大きいメスがオスに性転換して、全部身体もオスになりますね。
それで群れを守る。
敵が来ると、そのオスは外敵と戦うわけです。
メスはその間に岩陰に隠れるわけですね。
オスは何回か戦ってるうちに死ぬわけです。
つまり、オスの幸福というのは死ぬことなんですね。
それで10匹が9匹になると、今度9匹のうちの1番体の大きいメスがオスに変わって、群れを守りますね。
これは普通のことなんですね。
つまり男性の幸福というのは何かというと、死ぬことなんですよ、死ぬこと。
死ぬことっていうのは幸福かと言うのは難しいわけですね。
それじゃあ幸福は、男性の生物学的な幸福は存在しない。
女性が味わえる人生の幸福
そうすると認知的幸福、つまり人間の大脳が発達してるがゆえに、幻想としての幸福は存在するかもしれないですね。
つまり、女性の幸福というのは、身体の幸福なんですよ。
本当の人生の幸福なんです。
それから、男性の幸福は幻想の幸福なんですね。
だから幻想の幸福は、身体の幸福は死ぬことだから、これは幸福にならない、すると男性の幸福というのはそれ以外の幸福、つまり頭で考えて幻想の社会を作って、幻想の社会だけで幸福を得るようにするということですね。
男性が喜ぶ仮想的な幸福
例えば学問が好きだ、スポーツが好きだ、スポーツも私、野球を全然バカにしてるんじゃないですよ、野球選手の有名な野村監督、のちに監督が言ったように、たかが野球、されど野球、これが男性の幸福なんですね。
たかが野球なんですよ。
だいたい、ピッチャーが投げたやつを打つとか、3球空振ったら三振なんて、何の意味もないわけです。
一塁ベースまで何メートル、これだって全然意味がないんですよ。
だから、たかが野球なんですよ。
なんであんなのに熱中するの、だけどされど野球。
つまり、これは仮想的な幸せなんですね。
野球で優勝するっていうのは、もう無上の喜びなんですよ。
これは仮想的なんですよ。
つまりたかが野球、されど野球なんですよ。
ところが、女性の幸福はたかがじゃないんですよ。
子供を産むのにたかが子供じゃないんですよ。
それこそが目的なんですね。
だから女性の幸福は実体的な幸福であり、男性の幸福は幻想の幸福である、絶対に一緒にして論じてはいけないと思いますね。
その意味では、男性と女性を人類という言葉でひとくくりするのがいけないんで、女性が第一人類、男性が第二人類としたらいいんですね。
本当はこれ違うんですよ、女性は第二人類がいいんですよ。
つまり女性というのは、実質を握っていますから、形式は全部男性に譲るということでうまく行くようになってるんですね。
ですから女性は自分たちが第二人類だと言っておいて、第一はある意味ないからねというのが、女性としての特性ですから、女性の幸福を考える時は、逆に女性は第二人類、男性は第一人類と言ってもいいんでしょうけど、
そう言うと、変な「女性の権利は」とかいう人たちから反撃を喰らうので、ここはゴマをすっておいて、女性が第一人類、男性が第二人類、もしかするとちょっと言葉はいけないんですが、女性は女類、男性は男類と言ったほうがいいでしょうね。
それくらい大きく差がある気がするんですよ。
人間の男性とサルのオスの方が、おそらく幸福ということを考えるには近いんでしょうね。
人間の女性とサルのメス、これは非常に幸福状態が似ていると思うんですよ。
だけど人間の女性と人間の男性というのは非常に離れている、というふうに思います。