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政府統計の嘘と官僚のくだらない言い訳
この所、政府統計の嘘というのが随分と議題になっておりまして、なんか100くらいの政府の公式統計のうち、20とか30とか、間違った統計になっているという発表があったりしておりますけれども、
まぁ、これはですね、どうしたらいいかと。
だから、もう少しきちっとした統計を取るためには、なんかもう凄い間違った。
官僚ですからしぶといですからね、統計を取る人間が少ないんだって。
また人間を増やして、予算を取ろうとしているなぁと思うんですけど、それにやっぱり引っかかる人もいてですね。
政府に人は山ほどいる
政府には山ほど人がいるんですよ。
そんな事は何の問題も無いのですが、問題なのは当たり前なんですね。
政府は元々嘘をつく所である
政府というのは、元々嘘をつくところなんですよ。
政府が嘘をつくから、マスコミがいるんですね。
で、政府が嘘をつくのは、どこでもそうなんです。
資本主義であれ、共産主義であれ、王政であれ、共和制であれ、なんでも政府というのは嘘をつくわけです。
つまり権力を持つという事はですね、嘘をつくという事であるという事は、歴史的にはっきりしているんですよ、実は。
そうじゃないとか、そうであるとかいう前にですね、それじゃあ、もし政府は嘘つかないという人は、なぜ今まで歴史的に全ての政府が嘘をついてきたという事をどう解釈するかという事を言っておかなければいけないんですね。
それで権力側というのは、必ず権力を維持するのに凄く苦労をするんですよ。
苦労を避けるのに一番いいのは、嘘をつくことなんですね。
東電が未だに嘘をつき続ける理由
例えば私がやらない方が言いよと言っている原発がそうなんですが、嘘に嘘を繰り返すわけですよ。
東京電力なんかは、今になってもこの前報道がありましたよね。
報告すべき点検項目かなんかを報告していない。
今でもそうなんですね。
私が原子力に関係していたころ、随分と嘘があって、僕は近くにいましたからね、こんなに嘘がある所でやったってだめだと思うくらい嘘があるわけです。
それはつまり、無理やりなんかしようとしているわけです、どうしても。
だから嘘をつかざるを得ないわけですね。
NHKの嘘のつき方
今で言うとNHKみたいなものが、申し訳ないけど、嘘を色々とついているわけですね。
例えば一つの例ですけど、他にもいっぱいありますが、織田信長と浅井長政が戦った小谷城の姉川の戦いで、最後、小谷城は落城するんですが、その時にNHKは常に、小谷城に火をつけるんですよ。
小谷城は燃えていなかったんです、落城する時。
だけど、燃えさせた方がドラマチックなんですよね。
あそこには、お市の方、信長の姉でしたかね、それが嫁いでいた。
だから、紅蓮の炎の上がる所で、いかにしてお市の方を救ったか、なんていうのは、小説としてはいいわけですよ。
だけど、史実として放送しているのに、紅蓮の炎が上がる小谷城をNHKは必ず使うんです。
なんで使うのといったら、映像としていいからというんですね。
こういうのが、実は嘘なんですよ。
権力側の嘘なんです。
権力側の嘘というのはですね、露骨な嘘じゃないんですよ。
言い訳が出来る嘘なんですね。
映像が大切ですからと、これは史実じゃないんですよ。
「史実として、歴史として見ている人がいるんですか?」
なんて、しらばっくれる事が出来る所で、嘘をつくんですね。
政府の嘘も見抜けない金にまみれた報道と学者の質の低下
今度の政府の統計の嘘もそうなんです。
じゃあ、嘘を防ぐのは今まで社会では誰だったかというとですね、それは報道と学者だったんです。
報道と学者はそれぞれ教授とかですね、記者とか言ってですね、やや独立していたんですよ。
会社と独立している。
一応、お金とは切り離されていたわけですね。
したがって記者はですね、新聞記者はどちらかというと、腰に手ぬぐいをぶら下げて、メモ帳と鉛筆をもって、足で歩きまわって、出来事を拾ってくると。
そういう感じが、記者だったんですね。
実は、そういう記者は、私が40代くらいの時にはいました。
日経新聞の忘れられない記者がいます。
よく取材に私の所に来ました。
必ず、真面目にメモを取って行って、そしてなんか夜に飯でも食いに行きましょうと言ったら、必ず断りましたね。
「私は新聞記者ですから、取材先からご飯をご馳走になるわけにはいきません」
と言って、帰りました。
その記者は、私の研究がダメになる時に、終わりになる時に、凄く長い、大きな記事を書いてくれました。
その記者は、ずっと私の研究を取材し、ちゃんと取材をしてくれて、その結果を報じてくれたわけですけど、今はそんな記者は全然いません。
もう、ワインの種類を詳しく知っている記者ばっかになりましたね。
福島は安全と言って自分は逃げた4大新聞とNHK記者
原発の事故が起こった時に、福島にいた記者は、4大新聞の記者、NHKの記者は、みんな引き上げました、東京にですね。
そして、3カ月か4カ月が経ったら、福島に行きまして、福島の人達が放射線防護服を着て、仕事をしているのにびっくりして、「なんであなた方はそんな服を着ているんですか?」って言った、「いや、新聞とかNHKが安全だからと言っているから」だと言って。
安全だと言っている人は逃げていたんですね。
そういう記者になりました。
それから、記者会見を聞いていると分かりますね。
今の記者会見というのは、記者会見から何か得ようと思って記者会見をしているのではなくて、通り一遍の質問をし、下を向いてパソコンで記録をしているんですから。
人の顔色を見てやらないと、記者というのは役割を果たせないわけです。
と、記者の文句とかNHKの文句を言っているように見えますが、
金の為なら嘘も平気になった学者の質の低下
私でもですね、私の分野の学者、もうこれも全然ダメになりました。
1990年代のはじめにですね、役に立つ研究というのが出て来まして、役に立つ研究かどうかを審査して、役に立つ研究なら金が出るというのになりました。
その結果、役に立つ研究というのは、誰から見て役に立つかという事ですからね。
学者がやる研究なんていうものは、役に立つかどうか分からないんですよ。
分からないから学問なんで。
役に立つ研究というのは、国の意志に沿ったものとか、そういうやつなんですね。
特に私なんかは、環境問題と研究というのはそれほどやっていたわけではないのですが、それでも、環境問題でもリサイクルを推進するとか、温暖化を防止するとか、国の施策に沿った研究を私がやればですね、すぐ1億、2億はお金を研究者は取れるんです。
だけど私は、政府とは考え方が違うので、そういう研究をやらないわけですね。
ある時に私に、言ってくれた人がいるんですよ。
私を支持してくれた人なんですけどね、偉い人が、「武田先生、温暖化防止研究って名前で申請したら、私が金を付けます」と言ってくれた人すらいるんですよ。
だけど私は、一回そういう嘘をつくと、もう学者はいくらでも嘘をつけますからね。
だから、やんわりお断りをしました。
そのかわり、大変な苦労をしてお金を集めましたけれども。
だから、学者も今はもうダメなんですよ。
本当は政府が統計を取るのでは無くて、学者とか、それから新聞記者が統計を取ればいいんですけど、今は学者も新聞記者も、政府の言う通りにやらないとダメなんですね。
記者クラブがあり。
記者クラブというのは、政府みたいなものですからね。
学者も役立つことを言わなければならない。
記者も学者も総崩れでやりたい放題の日本政府
だから、こういう社会システムをひっくり返すためにはどうしたらいいかというと、本当は報道がなければいけない。
でも、報道自身がダメなんで。
学者もダメなんで。
私は一回、超有名私立大学の博士論文、ドクター論文ですね。
それの審査を依頼されました。
論文を送ってきて私が見たら、その論文のデータの出所が、殆ど官報なんですよ。
政府統計なんです。
だから、私はですね、やんわりとその先生に、ちょっと申し訳ないけれども、この論文は政府統計を元に色々と計算をしたりしているから、私はちょっとこの論文は審査できません。
なぜならば、政府統計が正しいかどうかという事を、私が全部調べる事は出来ないから。
間違った論文、もしからしたら間違った論文を世の中に出してしまうからと言いまして、断りましたね。
つまり今は、総崩れなんですよ。
なんで総崩れたかと言ったら、直接的には、先生とか記者がいけないんですけど、官僚が全部金を握っているというのがいけないんですね。
だけれども、なぜそうなったかは、やっぱり国民がそうさせたんでしょうね。
日本国民の厳しさというのが、権力に対する厳しさというのが無いと。
今度みたいに、政府統計のいい加減さが出てもですね、それは政府の中の人間が少ないんだなんて、統計に関する人間が少ないんだなんていう。
まぁ、焼け太り側に国民が立つという事が、問題だと思います。