国民を扇動する科学に無知な政治家の恐ろしさ
まぁあの、科学の分野ではですね、考えなければいけないのは、原発と温暖化、それからまぁ、再生可能エネルギー。
こういう所はですね、科学的に見ても難しいし、私たちの生活、もしくは子供たちの日本というのを考えるのに、もの凄く大切なものなので、
科学的な事と言えどもですね、やはり多くの人達が正しい知識と判断を持つという事が、いいんじゃないかと思うんですね。
原発の今日は被爆と健康について、原発事故が起きてから5年が過ぎまして、私たちの心もかなり平静になってまいりましたので、ちょっとここで考え直してみたいと思っております。
原発の福島の事故ですね、これが起こるまでは日本社会は被爆に対してですね、非常に強い恐怖心を持っておりまして、例えば放射線も漏らしたりする研究所があったりですね、そうしますと、
「何やってんだ!」
という事で、朝日新聞とかNHKをターゲットにするんじゃないんですけど、一般の日本人もですね、放射性物質の管理が杜撰だったり、それによって人々が少し被爆したりしますとですね、
1年1ミリシーベルトという被ばく量の基準
例えその被ばく量が基準ですね、基準は1年に1ミリシーベルト以下なんですけど、一年に1ミリシーベルト以下でもですね、
「基準値以下だったからいいってわけではないじゃないか!」
というような強い口調で非難をしたものでありますが。
原発の事故が起こって、突如としてですね、「被爆なんて大したことない」と。
「世界では、1年に1ミリシーベルト以上の、一年に10ミリシーベルト以上の自然放射線を浴びている所もあるじゃないか」
とかですね。
それから、「食品の中にもかなりの放射性物質があるじゃないか」という話が、一気に出て来るわけですね。
しかし、それはもちろん、専門家なんかは前からよく知っている事で、まぁその紫外線にしても、放射線にしても、それから有害物質なんかにしてもですね、世界では結構多い所があるんですね。
これは、放射線ばかりではありません。
例えば、バナジウムのような危険物がもの凄くあるような地層とかですね。
チリの方では、例えばヒ素とかそういうものが豊富にあるような所に住んでいる人達もいるんですね。
ですから、世界中を探しまして、放射線の高い所があるかといったらあるんですね。
だから、放射線に被爆してもいいって言うわけじゃなくて、そういう地域はだいたい中国とかインドとか古い大陸の非常に貧しい地域で、まぁ、癌になるような時期じゃない40歳とかくらいで、多くの方が亡くなってしまうような地域なんですね。
だけれども、私はその福島原発の事故が起こった後ですね、必死になって多くの人が世界で最も放射線率の高い、自然放射線の高い所を調べて、これでも大丈夫じゃないかと言って、主張する姿を見てですね、非常に奇異な感じが致しました。
どうして、こんなに大きく変わってしまうんだろうか。
それも、もの凄く、科学的な合理性が無いですよね。
先ほど言ったように、世界中を探せば、砂漠の所で灼熱の所もあるし。
熱中症で死んでしまうという事ですね。
放射線の高い所、バナジウムの多い所、ヒ素の多い所、いくらでもあるんですね。
そんなのを基準にしたらですね、もう酷い基準になっちゃうわけですから。
私たちはそういう非科学的な事ではなくて、やっぱり平均的な日本人、この場合、日本の基準はですね、10万人あたり6.6人が致命的発がんか、それとも重篤な遺伝性疾患になると考えられる量、それを定めているわけですね。
ですから、それ以上高くていいじゃないかというのは非常に難しいわけで、なんとも言えないわけですね。
それから、1年1ミリシーベルトという基準が決まっているので、それを私が言いますとですね、それは危険を煽るんじゃないかと。
そんな低い基準をどうして言うんだと。
10万人に6.6人という基準が、低いかどうかというのは難しいんですね。
だいたい交通事故並みという事で決まっているものが多いんですね。
ですから、だいたい10万人あたり6.6人というと、だいたい日本で1年間に8000人くらいという事ですね。
日本中で8000人なんですね。
そうしますと、福島は日本中じゃないじゃないか、福島だけが汚染されているんじゃないかというような、また屁理屈を言う人がいるんですが、交通事故でもですね、北海道に住んでいる人は、北海道にしか住んでいないんですよ。
ですから別に、北海道では8000人じゃないんですね。
危険の度合いを言っているわけですから。
汚染米と汚染野菜を隠した日本政府と農家
だから、まぁ日本中で8000人の人が放射線で被爆して死ぬというようなくらいの程度の危険性をですね、一応設定しているという事なんですね。
それから、もう一つ僕がびっくりしたのが、これは大阪の橋下さんが言ったように言って、こう伝わったんですけど。
「福島の瓦礫を引き受けないとはなんという事なんだ」とかですね。
「福島の野菜を積極的に食べよう」というような人も現れたわけですね。
多く現れたわけです。
もちろん、汚染されていない野菜を食べるのは全然問題がないんですね。
我々は、科学というものの中に住んでいるわけですから、福島の野菜を食べちゃいけないと言っているわけではないんですね。
私も度々テレビで言って、「汚染された野菜」という所を、「汚染された」という所を切って、放送されたりしましたんでね。
これはもう、今のテレビがいくらでもやる事なんでしょうがないんですけど、私が言っていたのは、「汚染された野菜を食べてはいけない」
つまり、やっぱり基準があるわけですね。
発がん物質でも、ある程度入っていたら駄目だし、添加物もある程度入っていては駄目なんですね。
常にそれは我々が文化的な、科学的な世界ではですね、食べてはいけない基準を決めて、それを出荷する方はちゃんと調べて、それを表記して売るという事ですね。
ところが私が見たところ、福島の米も野菜もですね、それから汚染された後に売られていた魚もですね、何ベクレルという表示が無いんですよね。
何ベクレルという表示がなければ、それはやっぱり食べられないという事じゃないかと私は思うんですよね。
ところが、最後まで表示しませんでした。
今でも表示されておりません。
それはなぜかと言うと、例えば基準が100ベクレルとします。
この100ベクレルとという基準は難しいんですけど、100ベクレルとしますね。
そうすると、20ベクレルという風に表示すると、みんなが買わないというんですね。
だって、関西で取れる野菜はゼロベクレルなんだから、そうすると主婦が、スーパーに行って、福島産の野菜が20ベクレルで、基準内だと。
それから、関西からの野菜がゼロベクレルだと。
そうすると主婦はゼロベクレルを買うって言うんですよ。
そうすると、福島の野菜が売れないから、汚染度は表示しないという風になったわけですね。
これは正しいんでしょうかね。
今まで、そういう事を言っていましたかね。
言っていないんですよね。
やっぱり我々はですね、基準以下のものについては食べる。
ところが、福島原発事故が起こる前は、みんなでですね、被爆が怖い、怖いと言ったもんですから、それで野菜に20ベクレルとか、米が30ベクレルとか汚染度を書くと売れないという事で、最後まで頑張って書かなかったのですが。
それは、本当に日本の子供たち、日本の消費者に信頼されるような行為なんでしょうかね。
やっぱりその、有機野菜だとか、農薬を使わないってあれほど一生懸命言って来た農家の方がですね、突如としてベクレルの表示をしない。
野菜をみんなで食べようじゃないかというような考えはですね、旧来の日本文化の中に無いわけじゃないんですけど。
原発を守り農家を守らない日本政府
わが身を犠牲にして、他人を助けるというのも、正しい事は正しいんですけど、福島の野菜とか米を全部政府が買い上げても、1年間に約600億円くらいだったと思うんですね。
これに対して、原発に投入しているお金っていうのは、だいたい4000億円~5000億円なんですね。
ですから私は、財源が無いわけではないから、こういう時は原発のお金を削って、やっぱり野菜とか農作物を買い上げて、農家の人も苦しまないようにしたらどうかという事を、国会も含めまして散々言ったんですけど、
そうなると今度はお金がもったいないわけですね。
それからもう一つに特徴は、こういった被爆の程度なり、危険を煽るという考え方なり、野菜をみんなで犠牲的に食べようとか、子供に野菜を食べさせようといったような事ですね。
これについて、日本の指導者が群れたんですね。
群れたというのは、「あいつがそういうから自分もそういう」という人が多くて、一人一人の人が、自分の信念としてですね、「被爆による安全基準はこういう時にも守りたい」とか。
やっぱり、「法律を守る事は、危険を煽る事じゃない」とかですね。
それから、「国民に供給する野菜とか米は、安全な基準を守っておかなければいけない」といった、そういった基本的な事なのに、横を見ていましたね。
横を見て、そして横の人がどう言うかという事で決めるという指導層の人が多かったという点は、大変に私は科学者としても残念ですし、日本人としても残念だと思っております。