朝日新聞がデタラメな津田大介を裏工作で芸術監督に就任させた可能性!政治利用した慰安婦像は芸術作品ではない!武田邦彦

慰安婦像を展示し天皇を焼くあいちトリエンナーレ2019

あいちトリエンナーレの事件ですね。

前回に続きまして、問題のは韓国の慰安婦像を展示した事。

それから、昭和天皇の写真、顔写真がですね、焼かれる所を出すという、

まぁ、もの凄いものが何個か出ましたのでね。

それはやっぱり騒動にはなるでしょう。

津田大介というデタラメな人物がなぜ芸術監督に選任されたのか?

で、問題なのはそれ全体を指揮した津田大介さんという人がですね、非常に特殊な人で。

朝日新聞の論壇委員をやるくらいですから、まぁ、デタラメをいつもいうという所もありましてね。

そういう人がなぜ芸術監督に就任したかと。

これは、1年、2年前くらいの2017年の12月に選定されまして。

これは朝日新聞が大々的に報道しましたね。

つまり、社会的にあまり芸術としての実績もなく。

学力も大してなく。

大学の先生にもなれない。

そういう人で。

朝日新聞なんかを通じて、非常に刺激的な事を社会に発信して、そして人気を得るという、そういうタイプの人がなぜ全体の指揮を取ったかという問題がありまして。

これはあの責任を追及して行きたいと私は思っておりますが。

人間の社会の外と内

まずは格調の高い所から、この問題について話をしに行きたいと思うのですが。

人間の社会というのはですね、外と中というのがあるんですね。

外というのは何かって言ったら、社会構造なんですね。

例えば、封建主義であるとか、絶対主義であるとか、民主主義であるとか。

こういった人間が生活する上での外側の構造ですね。

これのまぁトップは誰かというと、昔は殿様であり、今では首相だったり、大統領だったりすると。

それで法律を決めて、多くの人達がより幸福に過ごすようにシステムを作って行くと。

もちろん税金なんかも取られるし、犯罪を犯せば、逮捕されて監獄にぶち込まれると。

これが、人間というものの外側を規制しているわけですね。

規制しているという言い方もあるし、それから人間の幸福を目指していると言ってもいんですが。

どちらでもいいんですが、そういう事なんですね。

それに対して、人間の中を取り扱うものがあるんですね。

それの一番大きいのが宗教です。

宗教は、イエスキリスト様が言われたようにですね、カエサルのものはカエサルに。

神のものは神にと。

これ、逆だったかな。

神のものは神に。

カエサルのものはカエサルに。

画像出典:Destination Florence

でしたかね。

ある人がイエスに、神様とカエサル。

カエサルというのはその頃ローマ帝国ですから、ローマ帝国の一番上ですね。

が、考えが違ったりした場合、どっちに従うべきかというような。

これは一種の悪魔の質問なんですけど、そういったものをした時にイエスがですね、軽くいなすんですね。

その言葉が、

「神のものは神に カエサルのものはカエサルに」

と、これはどういう意味を持っているかというと、人間の外なるもの、これはカエサルですね。

大統領とか殿様。

それは、外で取り扱うんだと。

それから、神のものは神に。

これは、人間の心の中なんだと。

それは、心の中の話なんだという風に区分けているんですね。

お釈迦様もそういう事を言っておられるし、誰でもそういう事は考え付くわけです。

それで、この内なるものというのは宗教が一番上なんですが、それから哲学とか学問ですね。

学問とかそうですね。

どっちかというとスポーツなんかもそうですね。

ですから、オリンピックに政治を持ち込んじゃいけないなんて言われるんですけど、それはそうで。

やっぱりスポーツというものを通じて、人間の体というものを通じて、人間の内なるもの、それをですね高めて行ったり、楽しんだりするという事なんですね。

これのトップがやっぱりいるんですね。

天皇陛下という存在と役割

それは例えばお釈迦様だったり、それから日本ですと対象は違ったんですけど、天皇陛下ですね。

天皇陛下というのは、昔は、一番元は権力も持ち。

つまり、日本の外的な、人間の外の社会のトップでもあり、内の社会のトップでもありました。

しかし、それはやっぱり素朴な社会ではそれでいいんですけど、少し高度な社会になりますと、それはやっぱり適切じゃないんですね。

したがって、そのうちに太政大臣、平安時代には太政大臣なんかが権限を持ち、そのうち征夷大将軍になり。

まぁそのうち、豊臣秀吉になり、徳川家康になって行くわけですね。

明治時代に一時それが一緒になっちゃったんだけれども、やはりまぁ象徴天皇、つまり日本人の心を支える方が天皇だと。

こういう事になって、神様だと。

ですから、天皇が神様だというのは、一時すごく非難をされまして、天皇人間宣言なんていうのがありましたが、あれは少し考えが浅いんですね、逆に。

天皇は神様にしとけばいいわけですね。

つまり、人間の内なる心を支配する人というのをまぁ、人として置いておく必要があればいいんですね。

まぁ、ヨーロッパでもローマ法王なんてそれにあたります。

ところが、常に人間というものはですね、外と内がこんがらがって来ちゃうんですよね。

それで、ローマ法王が例えば殿様よりか上にあるとかですね。

まぁ、酷い時には殿様の任命権を持ったりすると。

それから日本の天皇も、政治的なものに利用されたり、自ら自分で乗り出したりする事もあるんですね。

それから、芸術の世界でもそうで。

芸術というのは元々そういう外なる体制とは違うんです。

イエスの言い方によれば、「神のものは神 」「カエサルのものはカエサル」ですから、

「芸術は芸術」「政治は政治」なんですね。

安易に政治利用される芸術

ところがこれもですね、今度の津田さんもですね、私は著作物を見たり、普段言っておられる事を見たりしたら、そういう本当の人間の文化の基本みたいなものは、たぶん、はっきり言うとご存知ないと思うんですよ、僕は。

そこまで勉強していない。

感覚なんですね。

ですから、芸術の政治利用というのをどんどんされる事になります。

これは全然ないわけではないんですよ。

例えば、ピカソのゲルニカなんかもそうですが、

画像出典:ピカソ美術館

スペイン内戦に対するピカソの怒りというものがそのゲルニカの絵に表れているわけですね。

それがまたゲルニカという絵の芸術性も上げているんですけど。

あくまでも、芸術なんですよ。

政治活動じゃないんですね。

政治活動として、主には政治活動として使うというものと。

主には芸術なんだけれども、そこの中に政治性が入っているというのは全然違うんですね。

慰安婦像は芸術作品ではない

今度の慰安婦像なんていうのはですね、まず第一に事実じゃない。

これ、事実じゃないというのはね、芸術としては構わないんですよ。

ダビデが本当に生きていたかなんて言ったって、ダビデ像に関する評価は、芸術的評価が変わるわけじゃないんですね。

画像出典:wlpm.xsrv.jp

ただ、この慰安婦像はですね、明らかに最初から芸術作品として作られたんじゃないんですよ。

私が見るところですね、本当の専門家ではありませんが、あの慰安婦像は芸術性な価値は低いですよ。

彫刻が凄く上手いというわけでもないし。

それから、あそこの女の子の感情とか顔はですね、あれやっぱり欺瞞な顔をしているんですよ。

芸術的には、僕、そう思います。

まぁ、芸術家に少し意見を聞かなければいけませんが。

やはり、政治的に利用するようにして作った像だから。

そういう顔をしていますね。

全然、人生の深みだとか、それから自分が少女で慰安婦に売られた悲しさが出ているとか、そういうのじゃないんですね。

芸術作品というのは、慰安婦像なら慰安婦像というのを見て、それが嘘でもいいんですが、その像を見た人が韓国だとか日本だとか、そういう事じゃなく深くその女性の戦場における。

まぁ慰安婦というのは実際にはいなかったわけで。

朝日新聞の作り話ですから。

それで朝日新聞が地下工作をして、裏工作をして津田大介さんを監督にしたという可能性もあって。

それはもう、もの凄く厳しく調べて糾弾しなければいけませんが。

また朝日新聞はそんな事をやってんのかという感じなんですが。

まぁあの、芸術作品じゃないんですよ。

それから、昭和天皇の写真を焼いている作品ですね。

これもね、これも誰かの芸術家が書いたんだとしたら、これはね、芸術というのものがですね、人間の内なるものを、

その時にですね、焼かれたものがどういう芸術的な意味を持っているかという事ですよ。

例えば先ほどの慰安婦ぞうであればですね、戦場では常に慰安婦がいたわけですね。

最近まで戦場どころか、普通の一般社会でも売春宿があったぐらいですからね。

そこにいる女性の本当の心の中のものが描かれていて、それを見た人に深い感動を与えるというんなら、芸術作品なんですよね。

それが、政治利用されたっていうなら別なんですけど、慰安婦像というのは逆なんですよね。

政治利用するために、芸術性の低い作品を持ち出してきた。

それが、愛知の国際芸術祭に出たんではですね、それは問題だという事です。

 
 
 

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