日本が台湾と断交した流れ 親中派・親米派議員の見極め方 田中角栄VS福田赳夫の顛末

日本と米国と台湾の問題

日本とアメリカと台湾の問題を取り上げたいと思います。

現在、アメリカと中国の間で、台湾海峡、台湾の問題を巡って、事実上の戦争状態にあると言ってよいでしょう。

戦争状態と言っても、実際の軍事的な衝突があるわけではなく、相互に軍事的な威嚇合戦を行っている状態。

かなり、きな臭くなって来たとも言えます。

そして、来年2022年は、日台断交50年の年となります。

そんな中、アメリカは大統領勅命の、非公式使節団を公式に訪問させました。

大統領勅命の非公式使節団。

不審な表現ではありますが、これをアメリカ政府として正式に派遣するとしたわけです。

その中には、民主党の大統領予備選挙にも出た、元上院のクリス・ドッド氏。

共和党のブッシュ政権で、国務長官を務めたリチャード・アーミテージ氏。

民主党のオバマ政権で国務副長官を務めたジェームズ・スタインバーグ氏。

という重鎮が含まれているわけです。

全員、現役ではありませんが、実際に現在も力を持つ3氏が台湾を訪問しました。

そしてこの使節団、かつてのキッシンジャーの極秘会談。


そして、ニクソン電撃訪中から始まった米中国交正常化の正反対を行くものとも言えないわけではないわけです。

米中国交正常化、その裏では、悲しい歴史である台湾との断交というものがありました。

そこには日本も深く関わっています。

日本が台湾と断交した流れ

実は日本ですが、アメリカより7年早い1972年、台湾と断交をしました。

その理由は、国内が大きな、主な理由である。

そこには、日本の内部政治も深く関わっています。

当時、日本では角福戦争というものが起きていました。

これは、田中角栄と福田赳夫という2人の総理候補の争い。

自民党を2つに割っての、大きな戦いであったわけです。

当時、日本の総理は、岸信介総理。

そして、池田勇人総理。

そこから、禅譲された佐藤栄作総理、という流れを踏んでいました。

そして、岸信介総理、そして佐藤栄作総理は、兄、岸信介の派閥を引き継いだ福田赳夫さんに政権を譲ると考え始めたわけです。

その時に、敵対したのが田中角栄さんでありました。

田中角栄氏は、公明党からの依頼で、自民党の幹事長の立場を利用し、言論出版妨害事件というものの収拾に動いていた事が、大きな問題となっていました。

ここには、田中角栄氏と、公明党との関係も、内在していました。

1972年の自民党総裁選の一番の焦点は、対中政策であり、日中国交正常化を謳う田中角栄か、台湾との関係を重視し、時期尚早過ぎるとする福田赳夫氏との戦いになりました。

ここで、田中角栄氏が勝利し、結果的に総理大臣になったわけです。

総理になった田中角栄氏は、真っ先に手を付けたのが、日中国交正常化でした。

日中国交正常化=これは台湾断行を意味していたわけです。

中国も台湾も、一つの中国しか認めない。

台湾当局も当時、中国本土の正式な当事者は、中華民国、台湾であり、中国共産党は、テロ勢力である、として来たわけです。

そして、中国共産党は、中国共産党こそ正当な政府であり、台湾の統治権も中国にある、として来たわけです。

この2つの間で、日本、アメリカ共に二者択一を迫られて行きました。

そして、日本はアメリカより7年早い形で、台湾を切り捨てる、という事を行ってしまったわけです。

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