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津田大介・愛知県大村知事 なんの覚悟もない反日イベント
あいちトリエンナーレについて4回目ですね。
なんでこんなに何回も何回もやるのかと言ったら、この事件はもの凄く重要なんですよ。
前回言いましたようにね、一回展示を中止させられたとか、展示が出来なかったような作品を集めてやるんだから、それなりに愛知県も津田さんも覚悟をもってやってんのかと思ったら、
なんだか、火を放つとか言われて、ビビって中止するようじゃですね、元々、企画が出来ないですよ。
表現の自由は非常に大切
ここで私が言いたいのは、表現の自由というのは非常に大切で。
私たちの社会を守るのにもの凄く重要なんですね。
ですから、私、今度はですね、津田さんとは全然意見も違いますし、大した人物ではないと思っていてもですね、その企画は支持していたんですよ。
僕は、いいと。
ある所で展示が出来なかったものを、愛知県が展示するというのは立派だと。
こう思っていたわけですけど、引き際が悪いですよ。
全然根性も何にもない。
表現の自由を守るのは大変
それからもう一つ非常に重要なのは、表現の自由というのは極めて大切なのですが、それを守るのも大変なんですよ。
なんでも言っていいとか、なんでも書いていいとかいうんじゃないんですよ。
例えば前に言ったように、誰か個人的な女優なら女優の裸を書いて、それを著しく侮辱すると。
という風なですね、絵とか写真なんかは、絶対に求められないんですよ。
それはもう、津田さんお得意の人権違反になっちゃうんですよ。
私が注意しているのは、私は文章ですけれども、まず第一に個人は基本的には絶対に批判しないと。
今度の津田さんなんかは特殊な例です。
これはもう、個人を隠したってその役職である事は明白なんでちょっと出しているんですけどね。
それから、もう一つは、事実でない事は、やらないという事ですね。
もし芸術的な作品であれば、もちろん社会的な事だったら絶対に事実に反する事はダメですね。
嘘を平気でやるのは朝日新聞
ですから、慰安婦像が芸術性がないと私は思うのですが、芸術性がなければ、あいいう嘘はダメですね。
嘘を平気でやるのは朝日新聞なんですよ。
朝日新聞は嘘を平気でやりますけどね。
だけど、我々はやりません。
だから、朝日新聞を早く会社を止めさせなければいけないのは、やっぱり嘘を書く表現の仕事をする人というのは、もう辞めさせなければいけないんですよ。
僕らがダメになっちゃう、出来なくなっちゃいますからね。
表現の自由を超えた表現
それから私が心の中でずっと守ってきたのは、私が何か批判しようとする相手が、例えばNHKであれ、東京大学であれですね、批判する相手が、自分よりか弱い場合はやらないんです。
だけどまぁ、自分よりか強い相手はやっていいと。
だけど、もし私がですね、全く力のない人、表現力のない人、社会的にあんまり恵まれていない人をなにかの恨みかなにかで徹底的にやったらですね、その人は潰されちゃいますよ。
それはもう許されない事ですね。
それからもう一つは、事実ではない事と似ているんですが、その人が努力しても克服できない事を批判する。
例えばまぁ黒人だとか、女性だとか、そういう事で批判する。
それも僕は随分注意しているわけですね。
そういう事がないように。
自由にその人の意思で変えられるかどうかという事ですね。
例えば津田さんは金髪おじさんなんですけど、
画像出典:blog.goo.ne.jp
金髪は変えられますからね。
ですから、あいつは金髪でけしからん、なんていうのはまぁ許されるだろうと。
あまり人の格好だから、適当ではないけれども一応許されるだろうと。
つまりですね、表現の自由を守るという事は、絶対に表現をする方がジェントルマン、紳士でなければいけないんですよ。
紳士的なものであって、やり方も紳士的で。
天皇陛下の顔写真を焼く事が芸術である根拠を愛知県は説明せよ
だから、天皇陛下の顔の写真を焼くというものがですね、
画像出典:Twitter
まぁ、芸術家の方で随分と議論して欲しいんですけど、私は芸術性が無いと思うし、人の顔を焼くというのはですね、特殊な表現ですから。
なにかもう全然芸術上の違う目的がなきゃダメなんですね。
ですから、そういう事ももし今度ですね、愛知県はちゃんと言わなければいけないですよ。
なぜ天皇陛下の顔を焼く写真といか作品を出したのか。
それはこういう理由なんだと。
これはその日本国に対して侮辱する事にもならないし、日本国憲法を侮辱する事にもならないし、日本国憲法は天皇陛下は象徴だと言っているわけですから。
だから、一定の尊敬はしなければいけないわけですね。
その範囲での表現の自由を言うべきなんですよ。
だから、それについてどういう見解だったかという事は、はっきりと論理的に述べなければいけませんね。
私たち表現をする人。
表現の自由で他人へのバッシングは認められるのか?
例えば私もそうなんですが、私に対してバッシングをして来る人なんて山ほどいるんですが。
まぁ、大半の人はよくそこら辺をお考えになっていないので、いいと。
まぁ、そういう文句もあるだろうと思う事もあるんですが、本当は違うんですね。
自由に人をバッシング出来るという事も、表現の自由なんですが、そこにはやっぱり、表現の自由を守ろうという気持ちがいるんですよ。
表現をする人に。
表現をする人が。なんでもむやみやたらと表現ができるわけではない。
限界があるんだと、いう事がちゃんと分かっているという事が重要でですね。
どんな権利もそうですけど、何をやったって権利が守られるというわけではないんです。
やっぱり、人の権利というのは長い歴史があって、血も流して、そして権利を獲得して、そして獲得した権利を大切に守るという。
そういう事は非常に大切なんですね。
そのためには、もちろん法律に反する事は勿論やってはいけません。
これは当たり前ですね。
法律に反する事はやってはいけない。
それから、表現する方で、規制しなければいけませんね。
一個人を5日間批判し続ける毎日新聞
この前の毎日新聞が、一個人の原さんを名指しで5日間も一面で批判するとか。
画像出典:mainichi.jp
原さんに頼めばなんとか出来るなんていう、これは面積ですけど一面全部で使ってやるとか。
もう、全く発信力が違う。
原さんとしては、なんか訴訟すると言っていますけど、訴訟せざるを得ない。
そんな状態をですね、毎日新聞という表現を、表現する事をもって、発信する事をもって商売をしている人がやっちゃいけないんですよ。
プロなんですから。
我々はプロなんですから。
あいちトリエンナーレによる表現の自由を大幅に侵す行為
だから私も今はですね、トリエンナーレの事をずっとやっていますけれども、これはやっぱり愛知県というものが大きいし、トリエンナーレが大きいし。
それから、津田さんにしても、十分な発信力を持っているし。
それから、社会的影響も大きいし、何よりも、表現の自由を大幅に侵す事になるので、いけないわけですね。
早速トリエンナーレの今度の掲示を支持しようと。
表現の自由はなんでもいいんだからと。
表現の自由を制限してはいけないんだっていうような書き込みがもうすでにありますけどね、それが一番危険なんですよ。
非常に難しいという事なんです。
表現の自由を守るという事は。
その表現が、社会的にまず必要であるという事が大切なんですよ。
必要であるという事はある意味で色んな意見があるんですが、その中でも本人はこの表現が社会的に必要であるという事を実証しなければいけないんです。
必要じゃないものを発信しないでいいで。
自分のね、パソコンの中に入れて置いたり、携帯の中に入れておいて。
展示会でも展示しないで、自分の倉庫の中に入れておいていいんですから。
展示するとか、相手に訴えるという事は、それが社会的に意味があるからやっているんであってですね。
演奏でもいいんですよ。
演奏会なんてやらなくていいんですよ。
ピアノ演奏会なんてやんなくて。
自分のうちのピアノ弾けばいいんですから。
表現はそれで出来るんですよ。
しかし、そこでいう表現の自由というのは、そういう表現の自由ではないんですよ。
社会に対して発信しているわけですから。
発信したって意味が無ければね。
例えば、誰かを陥れるだけ。
殺人みたいなもんです。
いじめとかね。
そういうような事はダメなんですよ。
だから、今回の事もそこはね、むやみやたらと表現の自由があるって言ったら、表現の自由を本当に潰してしまいますから。
今ね、その危険が凄くあるんですよ。
中止にされた百田尚樹の講演会
えっとですね、これはなにか全く逆ですが、百田さんかなんかがどっかの大学、一橋大学だったかなんか東京の山手線の方の大学でしたけどね。
画像出典:www.sankei.com
講演をしようと思ったら、百田さんを呼ぶと、思想的な事があるんで中止したいって言って、学生が暴れて中止になりましたね。
画像出典:Twitter
ああいう事がいくらでも起こる事になるんですよ。
今度の逆ですよね。
思想的には。
右と左では逆です。
ですけど、行為としては同じですよね。
だから、我々は表現の自由というのを本当に大切にしなければならない。
そうすると、それに関係している人は、まず紳士的でなくちゃいけない。
自分の表現の自由を、権利を行使した事によって、被害を受ける人はいないのかという事を、十分に考えなければいけない。
社会的に意味があるのかという事も考えなければいけない。
それから、今度は実際にやるんだったら、私なんかも随分と脅されましたよ。
つまんない事でリサイクルしてはいけないとかですね、ダイオキシンは毒じゃないなんて言っただけで、もの凄く脅迫も受けました。
だけど、言う以上は覚悟はしているんですよ、僕も。
覚悟はしています。
例え自分の身が少しどうなるかもしれない。
だけど、私にはこういう信念があり、社会的にも意味があると。
だから、すぐには引かないですよ。
今度みたいにね。
だから、やっぱりそういう事は、表現の自由を守る。
表現する人にとって、最低の任務である。
それから、社会もそれを応援して欲しいんですね。
表現だからなんでもいいんじゃないかっていうのはね、そういう事じゃ絶対ないっていう事です。